瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(175)

4月18日追記】「赤いマント」記事に使用する資料の確認と云うことで始めた『三田村鳶魚日記』の検討が長くなりすぎたので、今更ながら『三田村鳶魚日記』に改称することにしました。すなわち「赤いマント(172)」を4月6日付「『三田村鳶魚日記』(01)」に、「赤いマント(176)」を4月11日付「『三田村鳶魚日記』(02)」に改めましたので、この記事の番号を(177)から(175)に改めました。記事本文には手を入れておりません。

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 昨日は『三田村鳶魚日記』の使い勝手について確認するだけで終わってしまいました。――当ブログの「赤マント」記事が検索ではヒットしづらいらしいことを述べましたが、確かにこんな前提の確認を長々と続けて本題に入れないような記事が続くと「手っ取り早く」ない人でも苛立つことでしょう。記事もはてなダイアリーのように展開させられません(何かやり方があるのでしょうか?)から、ブログに移行してからさらに見づらくなったようです。
 こうなったら twitter で、新知見を盛り込み得た、と思う記事を宣伝して、昨日のような確認作業は tweet しない。するならその旨を注記して、その場合は自信のある記事の方にもその旨「紙芝居説の根拠」「昭和11年は入学前?」などと注記して、――そんな努力も必要になって来るでしょうか。
 ブログを始める前、1月11日付「森於菟『解剖臺に凭りて』(3)」に言及した黒岩比佐子(1958.5.1〜2010.11.17)のブログ「古書の森日記 by Hisako」のコメント欄を見ていて、コメントを誠実にやり取りするのは大変だと思い、私には無理だと思ったのでした。ブログと連動させた twitter は外部コメント欄みたいなものですから、二の足を踏んでしまいます。
 或いは、全く活用していない(活用方法も今一分からない)はてなスターを自分の記事に付けて、著者本人の自薦記事であることを示すべきでしょうか。

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 今日は『三田村鳶魚日記』についての確認を続けるつもりだったのですが、次の tweet に気付いたので、取り上げてみました。すなわち、ナカネくんだの4月2日22:04の tweet に、

【古書収穫】同盟通信社調査部 編『國際宣傳戦』(昭和15年/高山書院)
同盟通信は現在の共同通信時事通信の前身。戦争において日本含む各国が、いかなるプロパガンダで国際世論を動かしているかを分析。また情報の伝播についても分析され、昭和13年に子供の間で広まった「赤マント事件」にも言及。

と述べて、「赤マント事件」の頁も撮影して示しています。ところがこれが、時期と発生場所について、2016年1月12日付(146)及び2018年5月10日付(159)に存在を指摘しただけでまだ検討に及んでいない岩崎京子(1922.10.26生)の回想と同様に、これまでの私の見当とは大分異なっているのです。
 しかしながら、赤マント事件の翌年、昭和15年(1940)刊で、ほぼ同時代資料と云うことになりますから、これまで記憶の混乱として片付けて来た後年の回想とは、同様に処理出来ないもののようです。
 細かい内容は、私も原本を確認した上で取り上げたいと思っていますが、東京では正体不明で終わったらしい噂の発生源や展開を俯瞰的かつ断定的に述べていることが気になります。或いは昭和15年になると東京ではこのような説明がなされていたのでしょうか。大阪では紙芝居原因説で収まりましたが、これは東京では当局の注意を受けた加太こうじ(1918.1.11~1998.3.13)周辺にとどまって流布しなかったもののようです。しかし、一番の疑問点は昭和14年(1939)2~3月の新聞・雑誌記事の内容との齟齬が大きいことです。ここでは、2013年11月30日付「赤いマント(40)」に引いた「取締の元締」たる警視庁の江副情報課長の談話からは、昭和13年(1938)11月以来4ヶ月と云った長期・広範囲の流行が窺われないことを指摘するに止めて置きます。
 続くナカネくんだの4月2日22:08の tweet には

「赤マント事件」についてはこちらを。昭和10年代に広まった噂で、赤マントを着けた怪人が子供の血を吸うというもの(つまり吸血鬼)。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%88

としていて、Wikipedia「赤マント」項を挙げていますので、特に赤マントについて調査を重ねている人ではないようです。――赤マントに興味があっても、なかなか当ブログには辿りつけないようですけれども。
 Wikipedia の項目については以前から気になっているのですけれども、Wikipedia はブログを「信頼できる情報源」と見なしていないので、かつ、私は資料紹介をメインとしているので別に独自研究と云うほどの独自性は発揮していないのですが、やはり、私が自分のブログ記事を根拠に加筆したら「独自研究」と云うことになるのでしょう。だからと云って当ブログに触れずに新聞・雑誌記事で項目を書かれては堪りません。いえ、Wikipedia「赤マント」項の「脚注」に挙がる書籍・雑誌のどれよりも当ブログの方が「検証可能性」と云う点でも*1優れていると思うのですが、やはり形式は大事なのです、本にするしかなさそうです。著作権処理や読者カードのことを考えると、最近怪談系の本をよく出している版元に持ち込もうか、などと考えてみるのですが、そのためには何よりも、一般も読めるレベルで原稿を完成させないといけない。
 それはともかく、『国際宣伝戦』の tweet、公開されている情報ですから、ナカネ氏の発見である旨をきちんと断った上で、私の『赤マント』本に活用したいと思っています。これまではブログ記事でしたけれども、書籍化と云う目標が定まった訳ですから今後はその旨を述べて、こまめに挨拶して置かないといけない、と思ったものでした。
 そこで原本ですが、国立国会図書館サーチで検索する限りでは公立図書館の蔵書は県立長野図書館蔵の1冊がヒットするのみ、しかも昭和12年(1937)刊だと云うのです。もしこれが正しければ昭和15年(1940)版は増補改訂版と云うことになりそうです。それはともかく、国立国会図書館サーチの結果を見たときにはナカネ氏にお願いしようかとも思ったのですが、何とか別に閲覧場所を見付けられそうなのでそちらで早速手続きに入りました。不調に終わった際にナカネ氏にお願いするかも知れません。(以下続稿)

*1:好い加減な根拠によって記述していないと云う点に於いて。