瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『三田村鳶魚日記』(22)

昭和7年の満韓旅行(6)京城の高松家①
 5月11日付(21)の続き。
 長春満洲国新京)での最終日、六月三十日(木)条は殆どが袁金鎧を訪ねたことについて述べ、そして最後に、350頁下段4~5行め「‥‥。○夜出発、送行者李文権、栗山/夫妻、皆川豊治。」とあります。
 翌七月一日(金)条には「袁氏所贈の中庸講義読了。なかなか面白きものなり。」とのみあって、南満州鉄道(満鉄)から朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)と続く鉄道での移動中に読んでしまったようです。
 そして7月2日から17日までの朝鮮滞在中、ほぼ京城で過ごしています。そしてこの間、三田村氏が世話になったのが、八重夫人の弟で皆川みさをの兄、高松龍吉の家でした。
 まづ七月二日(土)条、350頁下段9~12行め、

京城着、高松氏に導かれて竹添町の宅に入る。○稲葉君/山氏を訪ひ、食道園に会談す、今村鞆氏陪す、高松氏主/催なり、妓生四人、康琦花の伽耶琴を聞く。一妓、蘭竹/を描く、君山博士、詩あり


 そして13~14行めに七言絶句がありますが割愛。稲葉君山(岩吉。1876.12.4~1940.5.23)は朝鮮総督府朝鮮史編修会の幹事兼修史官として『朝鮮史』編纂に、今村鞆(1870.九.六~1943)は朝鮮総督府専売局嘱託として『人蔘史』の著述に当たっていました。食道園については国際日本文化研究センターデータベース「朝鮮写真絵はがき」にて検索するに、「一等賞受領/朝鮮〈名/物〉料理食道園繪葉書」6枚組がヒットします。袋には標題の他「朝鮮京城南大門通一丁目一六番地/ 電話光化門四四一・一五一七番」と所在地と電話番号があります。妓生については2015年7月5日付「正岡容『艶色落語講談鑑賞』(11)」及び2015年7月6日付「正岡容『艶色落語講談鑑賞』(12)」に、この数年前の京城で妓生の侍した宴席を体験した正岡容の陶酔振りを引用したことがありました。2015年7月7日付「正岡容『艶色落語講談鑑賞』(13)」に挙げた川村湊『妓生 「もの言う花」の文化誌』を見れば康琦花について何か記述があるでしょうか。――三田村氏は京城府中心部にある高級料理店で朝鮮文化専門の日本人学究との会食の席を、まづ義弟の主催で設けてもらったのでした。
 七月三日(日)条は16行め「月尾島見物、高松一家同道。」とあって日曜日ですので、この日だけは京城から出て義弟とその妻子とともに、景勝地に遊んだようです。
 七月四日(月)条、18~19行め「今村氏案内にて仁政殿、秘苑、宙合楼、博物館見物、高/松妻女倶。○博物館中に‥‥」とあり、七月五日(火)条、連れて来た平音次郎の次男均二が、351頁上段8~9行め「昨夜より不快、今朝も起きず、自分も恰好に休息の筈に/て悠暢に構へ込む」と云うことで、6行め「微雨にて涼し」い日を、稲葉氏・今村氏からもらった本を読んで過ごしています。それだけではなく9~10行め「‥‥。○高松家の婦時乃、よく我等の世話/に勤む、感謝至極なり。」と特に記していることが注意されます。七月六日(水)条の前半、12~13行め「雨ふりて稍々涼し、高松家婦東道にて、総督府博物館、/及び市内見物。○‥‥」と、その翌日も三田村氏のお供をして市内を廻っているのです。
 七月七日(木)条、16~18行め「今村氏を訪ひ船の朝鮮外三点を貰ふ、李道衡より聞きた/るサントウ、パクチヤムヂーは、今日まで不明なりしに/義弟に頼み聞合せたるに忽ち知れたり。○‥‥」他にも明瞭な記述があるのかも知れませんが、差当りここに「義弟」とあることで、高松龍吉が八重夫人の弟だと云うことが(察せられはするのですが)分かりました。李道衡は5月9日付(20)に触れたように、大連と長春(新京)で親交を結んだ李文権です。この日は、下段1~2行め「‥‥。○均二、起き出づ。○今日、快く昼/寝。」と、親切な親戚の家で同行者を看病してもらい、三田村氏もくつろいでいる様子です。竹添町は京城駅の北、当時の京城府市街の西の外れに当たっています*1
 七月八日(金)条、下段4~6行め「午前曇雨、午後晴。○‥‥。○/午後、均二子は高松家婦に連れられ朝鮮神宮に詣ず、予/は昼寝。○平洞、加藤灌覚氏を訪ふ、‥‥」そして8行め「‥/‥。○均二子を先へ帰す、今夜出発。」結局、平均二は快復した機を捉えてそのまま帰国させることにしたようです。満洲のように数日ごとに移動するのとは違ってずっと京城から動かないつもりですから、特に学究的興味の持ち主と云う訳ではない「均二子」を、これ以上京城に滞在させても仕方がないと考えたのでしょう。(以下続稿)

*1:京城・竹添町で検索するとWikipedia「京城府竹添町幼児生首事件」がヒットする。翌昭和8年(1933)5月15日夜に起こり16日に発覚した事件で、2013年12月2日付「赤いマント(42)」に触れた、Korean のハンセン病癩病)療治と云う点からも一応注意して置く。