瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

周防正行『シコふんじゃった。』(11)

 昨日の続きで、「立教大学体育会相撲部」HP「周防正行さん特別インタビュー」から、モデルについて語っている部分を見て置きましょう。

慶應義塾大学相撲部、青木と田中のモデル
 慶應大学東京大学にも取材に行った。東大の部員は凄いマニアックな人たち。部員はそれぞれ勝手に、自分が好きな相撲を極めるっていうやり方でやってて、あ、こういう在り方って云うのも、大学相撲ではあるんだな、と思って。それで日大の田中監督にお話を伺ったときに、弱小相撲部でやってる子たちの方が、実は相撲が好きで好きで堪らなくて、相撲を取ってる。逆に日大とか強いところの学生は相撲を取らされてる感じで、下のリーグでやってる子供たちの方が、生き生きと輝いているってことを田中監督が仰ったのが凄い印象に残っている。
 青木は慶應大学で部員から話を聞いているうちにふと思い付いた。部員1人だったかな、合宿所みたいなところに住んでいる。相撲が好きで、1人で頑張っている。ホント相撲が好きで好きでたまらないっていう。相撲取るためだけに大学に残ってるという。道場も結構慶應が(モデル)。


 ②では聞いていた坂田相撲部監督の「あー伊藤さんかなぁ」と云う声に応えて、伊藤氏本人(Chankei 2017)が「1年前*1」に以下のコメントを寄せている。

私の名前を出して頂いてありがとうございます。監督が取材に来られたときのことはよく覚えています。

うちの北見が東京新聞に取り上げられた記事の中で監督が「青木」役のモデルは、私/伊藤だと書いているので間違いありません。

1993.4.15の記事と記憶。

私がプロレス同好会も考えていた話は「春雄」役、当時クリスチャンで靖国での参拝拒否などは「田中豊作」役に使われています。但し吉原好きは私ではない別の部員のエピソードです。また青木は4留、私は2留でした。


東京新聞」は縮刷版を出していないが、同じ記事が「中日新聞」にも出ておれば、2018年11月23日付「赤いマント(165)」に取り上げた「中日新聞・東京新聞記事データベース」で読むことが出来るのだけれども、開館されても、花粉症以来片方の鼻腔が詰まったままなので、なかなか都内まで見に行く状態になれそうにない。しかし今日のように寒いとなかなか改善しそうにない。いや、年中悪いのだけれども。
 慶應義塾大学相撲部の「北見」は、テレビ東京「ドキュメンタリー人間劇場」にて「シコふんで!たった1人の慶大相撲部・北見主将の青春」として取り上げられている。この番組については「公益財団法人 荒川区芸術文化振興財団」HP に掲載される連載「荒川の人」No.62「松村 克弥(まつむら かつや)」の冒頭、

昨年末、テレビ東京の「ドキュメンタリー人間劇場」枠で放送された「たった一人の慶大相撲部」という番組の企画、制作、演出を手がけ、高い評価を得ました。

「いま慶応の相撲部には北見庄吾君という一人の部員しかいません。その北見君の青春を追ったドキュメンタリーでした。何かに打ち込む姿、ひたむきな青春像というか。いま若者たちはいろいろな批判を受けたりしていますが、この、3Kの要素たっぷりの運動に青春を注ぎ込む青年がいることを多くの人に知らせたかったのです」

「自分の青春とオーバーラップさせながら作りました」とも話します。松村さんが通ったのは成城大学文芸学部。大学に入るまでの生活はどんなものだったのでしょうか。

と紹介されているのだが、この記事(読売新聞記者・寺村敏/カメラ・水谷昭士)の初出が分からない。「荒川区芸術文化振興財団」HP で、平成21年4月号からPDFで閲覧出来る「ほっとタウン」の2頁上に、平成21年4月号は「荒川タウン情報誌 ほっとタウン」No.244(2009年(平成21年)4月1日発行・ACC 財団法人 荒川区地域振興公社・6頁)で「味な味」No.202「il vitto」、そして最新の「荒川区イベントガイド&タウン情報誌 ほっとタウン」2020年5月号はNo.377(2020年5月1日発行・ACC 公益財団法人 荒川区芸術文化振興財団・4頁)で「荒川の人」第263回「棋士 三浦太郎」が掲出されている。この辺りの号を見ると、2頁上に偶数月には「味な味」そして奇数月に「荒川の人」を、それぞれ隔月に掲載しているように見えるのだが、平成21年5月号「ほっとタウン」No.245の「荒川の人」は第202回なのだが、2020年4月号「ほっとタウン」No.376の「味な味」は第237回なのである。どうも、途中で休載期間があったようなのだが、それを確認するのは目的から大きく逸れるので、しないで置く*2
 そこで松村克弥(1963.3.19生)について検索して見るに、1993年にこのドキュメンタリーを作ったことが複数の経歴を述べたサイトに見えていた。そうするとURLに「acc-arakawa.jp/person/1994/02/No.62」とあるのは、これが平成6年(1994)2月号に掲載された、と云うことで、どうもこの頃の「ほっとタウン」に「荒川の人」は毎号掲載されていたようだ。そうするとこのドキュメンタリー番組は「昨年末」すなわち平成5年(1993)12月に放送されたもののようである。②への伊藤氏のコメントが記憶違いでないとすると、平成5年4月の新聞記事等を承けて、松村氏は取材に入ったと云うことになりそうだ。ここで本題に戻って、周防氏が取材に入った平成2年(1990)に北見氏は慶應に入っていたか、どうか。平成5年度に4年生だとすると既に入学しているが、伊藤氏のコメントの通りだとすると、似てはいるけれども北見氏は、本作とは関係しないと云うことになりそうである。しかし当時の状況を窺うには(私の学部時代とも重なるし)見てみたいドキュメンタリーではある。
 山本春雄(宝井誠明)がプロレス同好会を辞めて相撲部に移る設定のヒントも、慶應での取材の成果であると伊藤氏は考えているようだ。
 田中豊作(田口浩正)がクリスチャンと云う設定は、如何にも立教大学らしいのだけれども、当時の立教大学は、②のOBの発言にあるように「12年間部員がゼロだった頃」なので、例の山本秋平(本木雅弘)の00:49:50~51「お前、クリスチャンか」と云う、正しい理由でキリスト教系の大学に在籍している方が突っ込まれる、と云う倒錯した現象は起こりようもなかった訳である。(以下続稿)

*1:2018年後半か2019年前半。

*2:誌名と発行元の変更時期も、一応確かめて置きたいところなのだけれども。