瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(344)

鈴木義昭『風のアナキスト 竹中労』(3)生年月日⑩
 昨日の続きで、本書から竹中労の生年(月日)に関係する記述を抜いて置こう。
 まづ「序 竹中労の語り口」、8頁3~4行めに、

 竹中労の演説を初めて聞いたのは、七三年五月の神田共立講堂「大演説会」。おそらく『話の特集』/誌の告知を見て出かけたのだと思うが、まだ十五歳だった。この時、竹中労、四十五歳。‥‥

とあって昭和48年(1973)5月に45歳、すなわち昭和3年(1928)3月生説を採っていることが分かる。
 しかし、続いて列挙されている、死去直後、平成3年(1991)5月20日の新聞朝刊では9頁7行め、朝日新聞「六十歳」、そしてスポーツ紙は10頁5行め日刊スポーツ・7行め報知新聞・8行めサンケイスポーツ・9行め東京スポーツいづれも「60歳」と見出しに示している。これら死去当時の新聞報道は全て昭和5年(1930)5月30日生説を採っているのである。
 尤も、ここで、この年齢のズレが気になった人は少なかったかも知れない。この点を本書では、次の「インタビュー1/キミは竹中労を見たか !? 」で取り上げる形になっている。19頁7行めに「 それでは、『大杉栄』巻末の、本人の文による〔略歴〕を引こう。」と前置きして、8行め~20頁2行めまで、前後1行ずつ空けて2字下げで、15頁15~16行め「『FOR BEGINNERS 大杉/栄』(現代書館」と書名の上がっていた次の本*1から略歴を引く。

 1段落めを抜いて置こう。19頁8~10行め、

 昭和5・東京生、出自は九州(父は博多、母は熊本)。旧制甲府中学を同盟休校で放校され、東/京外語に学んだがここも除籍。以後肉体&知的職業の底辺を転々、詩を書き「新日本文学会」、/自立演劇運動に関わる。


 この引用に続けて、本人とインタビュアー*2による、次のようなコメントが付く。20頁3~5行め、傍点「ヽ」箇所を仮に太字にした。

 生年月日は、「昭和五年ってことになってる。本当は三年なんだけど、戦災のおかげで二つ歳を得したんだ」とのことで臍の緒書きは昭和三年三月三日。昭和五年から換算すれば、現在五十五歳。/三年からならば、五十七歳。戦災で戸籍が焼失したためによる二歳のくいちがいがある。


 本人の発言と云う扱いにはなっていないけれども、地の文にしている箇所も竹中氏本人の説明に基づいているのであろう。
 なお、掲載誌「アシュラ」はオークションサイトの表紙画像を見るに「オレンジ通信4月増刊」と銘打ち、創刊号ではなく「プレ創刊」となっている。昭和61年4月15日発行・580YEN。但し背表紙には「アシュラ AShuRa プレ創刊 No.01」、「CONTENTS」には「ASHURA/1986 APR. VOLUME 01」とある。竹中氏の記事は18頁に全面、竹中氏のカラーの顔写真(写真・吉江真人)、目次によると「ラジカル・ダンディズム・ドキュメント男の肖像画」というコーナーの恐らく第1回*3、「竹中 労元祖過激ルポライターは燃える闘魂である」と題している。本書での題は「キミは、竹中労を見たか/オレは、アラブのジャリン子チエ・/重信房子に会って来た」との本文冒頭の見出しを利用したものである。
 それはともかく、1月5日付(331)で問題にした、実は昭和3年(1928)3月30日生なのに戦災による戸籍再生時の誤記で昭和5年(1930)5月30日生になってしまったと云う説明が、『百怪、我ガ腸ニ入ル竹中英太郎作品譜―』よりも前に、本人の口から為されていたことが分かった。但し日付が30日ではなく3日になっている。3日で間違いなければこの取材は昭和61年(1986)2月以前に行われたことになる*4
 ところがこのインタビュー、後段では本人が昭和5年生として語っているからややこしい。24頁4~7行め、

 ――質問・竹中さんの青春のピークはいつ頃だったでしょうか。
 「昭和二十七年で、青春終わったと思ったのね、二十二歳で、パクられた時に。青春なんてものは、/本当は十八で終わらなきゃいけないんじゃないかと思った。ちょっと遅かったんだ。アンタ、二十すぎたらオジンだと、二十歳すぎたらね。‥‥


 20頁の説明だと「本当は」24歳と云うことになるのだが、ここの語りは昭和27年(1952)5月30日に「二十二歳」であったからこその感慨だと思えるのだけれども。(以下続稿)

*1:この本は本書と同じ版元で、奥付裏の7点の目録の1点めがこの『大杉栄』である。

*2:名前は示されていない。元の雑誌からなかったのか鈴木氏が省いたのかは不明。

*3:「アシュラ」が続刊されておればの話。――図書館にも所蔵がなくオークションサイトの出品もこのプレ創刊号に限られるようである。

*4:2月3日付(341)に触れた山口瞳『血族』で、山口氏が「11月3日」と云う日付から自分の誕生日を疑う、と云う辺りを読んでいると「昭和三年三月三日」などと云う「臍の緒書き」をそのまま信じた記者が何とも素直に思える。