瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

今野圓輔 編著『日本怪談集―妖怪篇―』(1)

現代教養文庫1055(1981年12月30日 初版第1刷発行・定価560円・社会思想社・342頁)*1

 カバー表紙、標題は白抜き、副題は灰色の明朝体、編者名は副題と同じ大きさのゴシック体灰色、その下の「編著」と左上のレーベル名は同じ大きさのゴシック体白抜き。
 書影が不鮮明なので、1章ずつ切り離した Kindle 版の書影も参考までに添えて置こう。副題の下の文字は追加で左上のレーベル名は削除されている。 下部の白抜きの絵は鳥山石燕『今昔畫圖續百鬼』の「輪入道」、上部の人魂はカバー折返しの下部にもある。私の見た本はカバー折返しの端がブックコートフィルムを掛けるために切除されている。
 カバー表紙折返しには以下の紹介文。

 キツネに化かされたとか、大入道に出会って目をまわしたとか、河童をつか/まえて写真に撮ったとかという話は、現代でこそ数少なくなったものの、かつ/ては多くの人がそれら妖怪めいたものの存在をまじめに信じていた。
 本書は、古典文学、随筆、昔話、伝説、民俗資料等の中から、日本人が体験/した妖怪譚を数多く集め、なぜ日本人がかくも長い年月にわたってそれら妖怪/を普遍的な経験として持ちつづけてきたかその謎を探る。


 カバー裏表紙折返し、

●今野圓輔シリーズ
怪談(民俗学の立場から)
幽霊や妖怪についての豊富な実例をあげながらそれらの存在の謎を解き明かす。
 
現代の迷信
日本の黒い習俗といわれる迷信をわれわれの身近なところに材をとり解明。
 
日本怪談集(幽霊篇)
体験談を中心に民話、古典の中から典型的な話を集め、なぜ日本人がかくも永く幽霊の存在を信じ続けてきたかを解明する。


 カバー背表紙もカバー表紙と同じグラデーションで、上部にゴシック体灰色と明朝体白抜きで上部から中央に掛けて「今野圓輔 日本怪談集 妖怪篇」とある。ごく小さい副題は私の見た本では褪色のために殆ど見えなくなっており、白抜きだったのか灰色だったのか、分からない。下部、黒のゴシック体で「教養文庫1055 D601 ¥560」数字(定価)は横並び。
 カバー裏表紙は白地で、右上にゴシック体でごく小さく「社会思想社/ 定価560円」右下に「0139-11055-3033」。
 1頁(頁付なし)扉、文字は全て横組み中央揃えで「現代教養文庫/1055」、中央やや上に「日 本 怪 談 集/妖 怪 篇」中央に「今野圓輔 編著」下部に「社会思想社」。裏は白紙。
 3~6頁「は じ め に」の冒頭を見て置こう。3頁2~10行め、

 「去年の夏、あんなにさわいだ〝口裂け女〟は、どうしたんだろう」
 「アメリカへでも行ったんじゃないの」
と、小学二年生の女の子も、三年生の男の子も、もはや、ちっとも問題にはしていない。タイ/ム・スリップとやらで、百年昔にも、また百年先の未来へでも、時間の制約からは解放され、空/間は宇宙のはてまで自由に往来できる現代の都会の子供たちは、昔とはすっかり変ってしまっ/た。
 口が耳まで裂け、真白い大きなマスクをかけて徘徊しては子供たちを連れて行くと、新聞、週/刊誌、ラジオ、テレビで騒がれた口裂け女の噂も、あっというまに消えてしまった。伝承的な妖/怪とはまるでちがう児童界の産物である。


 末尾6頁14行めに下寄せで「編 著 者  」とあり、その前、13行めは2字下げで「昭和五十六年十一月二十三日」とある。そうすると「去年」は昭和55年(1980)と云うことになるが口裂け女の流行は昭和54年(1979)のはずである。――疑問を抱えながら本文を繰って行くに、やはりこの「去年」は、「一昨年」の誤りであった*2
 すなわち、第九章「山  姥」の〔解説〕の1項め、220~221頁13行め「女の妖怪」を見るに、220頁6行め~221頁2行め、

 幼稚園児の孫娘が、
 「いま、口裂け女に会った」*3
と息せき切って帰って来た。すると小学校一年生の兄が、
 「口裂け女は、家までついて来るから困んだよなあ」
と嘆息しながらいう。昭和五四年秋のことだった。大きなマスクをした女が薄暗がりに立ってい/て、通りがかりの者を振り向きざまにささやくような声で、
 「ねえ、私、きれい?」
といいながら、耳まで避けた大きな口で通行する者を喰ってしまうとも、どこかへ連れ去るとも/いう。だれが、どこで、いついいだしたか不明のままこの口裂け女の怪談は、奇妙なことに幼児/の世界でだけ喧伝されて全国に広まり、しかも昭和五四年だけで子供たちの話題から消えてしま/った。同年夏から秋にかけて新聞、テレビ、週刊誌などが取りあげはじめたころは、わが口裂け/女の活動はもはや終わりに近づいていた。
 こうした口裂け女の怪は、幼児の世界だけの、それも完全に口コミだけによって広まった現代/【220】の女怪であった。こうしたいわば一過性で忘れられてしまった妖怪が過去にもかつてあったとは/考えられないだろうか。

とあって、今野氏の孫の男児が小学一年生、女児が幼稚園児だったのが昭和54年(1979)秋とすると昭和56年(1981)に兄が小学校三年生、妹が二年生で勘定が合う。兄は昭和47年度生、妹は昭和48年度生である。そして本書刊行から7ヶ月後に祖父の死に遇っている。
 それはともかく、私は今野氏が慶應義塾大学時代の赤マント流言について、何ともしていないのが気になるのである。(以下続稿)

*1:投稿当初、題を「現代教養文庫1055『日本怪談集』妖怪篇(1)」としていたが、2011年2月8日付「今野圓輔編著『日本怪談集―幽霊篇―』(1)」に合わせて改めた。

*2:書き間違いではなく、――実際に「去年」と勘違いして口にし、そのまま書いたのかも知れない。

*3:ルビ「くちさ 」。