瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(1)

 道了堂跡には行ったことがない。行くつもりもない。最近、越中北アルプスのことを取り上げているが、行く予定はない。富山市長野市には行きたいと思っているけれども、目的地は図書館と本屋で、山に登ったり伝説の場所に行ったりと云ったことは考えていない。現地でしか感じられないモノがあるのかも知れないが、そこには余り興味がない。そういうことをしている人は大勢いるから、わざわざ私もそうするまでもないと思ってしまう。それに、伝説など現地で聞いたところで今更純血種の伝承が保存されている訳でもない。怪異談ならば体験者や、尾鰭が付いた形(Variation)を色々聞けるかも分からぬが、体験などと云うものはどこまでもその当人のものでしかない。そもそも聞取調査してもどのくらい聞けるものだか分からない。だから私はもう実地調査などと云うものは諦めてしまって、専ら文字に定着されたものを検討することにしている。現地踏査・聞取調査をしたところで、結局文字にして示す訳だから、しないよりした方が良いのだろうけれども、結局、私の〝感じ〟は文字に出来た分でしか伝わらない。その文字だって伝わるかどうか。当ブログで誤読や誤記、誤植の例は多々見て来たところである。既に紙媒体の文字になっているものの検討だとて十分に為されていると言い難い。映像を示すと云う手もあるが、映像も〝感じ〟の全て、暑さや臭いまで伝えられる訳ではない。どうせある部分が削ぎ落とされてしまうのであれば、初めから文字で準備され、示されたものを検証するので良かろうと思うのである。
 妙な前置きになってしまったが、そんな訳で道了堂跡に行って見ようと思ったことは全くないのだけれども、妙に気になっている。
 私が道了堂のことを知ったのは、2013年2月26日付「小池壮彦『東京近郊怪奇スポット』(1)」に取り上げた『東京近郊怪奇スポット』の、2番めに取り上げられているのを読んだのが最初かも知れないし、それ以前から知っていたのかも知れない。私の周囲には怪談に興じるような酔狂な人間はいないので、人から直接聞いた覚えはない。
 ここで『東京近郊怪奇スポット』の見出し等を確認して置こう。体裁は2013年2月27日付「小池壮彦『東京近郊怪奇スポット』(2)」に述べた。すなわち8頁、まづ大きく見出し「〈すすり泣く老婆の伝説&    黒い液体と浮かぶ能面〉」があってその下にやや大きく「八王子市片倉・道了堂 〔名所〕」、そして13行(1行45字)の本文、9頁は横組みで、左上に写真らしきものがあるか殆ど真っ黒で何が何だか分からない。地図はない。右上には丸ゴシック体で〔怪奇現象発生地概要〕として8行。写真の下に「〔怪奇現象発生の頻度〕 ☆☆☆/〔深夜の現場の恐怖度〕 ☆☆☆☆☆」とあるが5点満点だから恐怖度は満点である。下半分は〈怨念の系譜〉としてゴシック体、1行34字で15行。
 さて、何をどう書こうと思ったのか忘れてしまったが、2014年7月27日付「中島京子『小さいおうち』(41)」に触れたように角川文庫4625『呪われたシルク・ロード』を読むなど、私も当ブログに道了堂についての記事を書こうと準備をしていたのだった。――丁度その頃、MU NONFIX『怪奇事件の謎』が刊行されている*1のだが、この本で小池氏は再度道了堂について、今度は見開き2頁に収めると云う制約もないので、詳しく取り上げているのである。
 なお、当ブログでは、2016年3月25日付「だーくプロ 編著『多摩の怪談ぞくぞくガイド』(1)」に取り上げた『多摩の怪談 ぞくぞくガイド』の初版と改訂版に、2016年3月30日付「だーくプロ 編著『多摩の怪談ぞくぞくガイド』(5)」に見たように「道了堂跡」が7頁にわたって取り上げられていることを紹介している。しかしどんな記述であったのか、すっかり忘れてしまった。(以下続稿)

*1:2016年2月24日付「松葉杖・セーラー服・お面・鬘(16)」に取り上げた。私が手にしたのは(恐らく)翌2015年2月。