瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

反町茂雄『一古書肆の思い出』(1)

 まだ研究者の端くれであった女子高講師時代までは、たまに特殊文庫に古典籍を見に行ったりしたものである。
 全国の文庫を旅して無数の古典籍を見て廻るようなやり方をしている研究者もいるが、私は別に古典籍の原本を見るのが心地良いと云うタイプではないので、どうしても見る必要のある本しか、見に行っていない。複製本で用事が済むのなら、それで十分だと思っている。古典籍の扱いは一通り身に付けたけれども、実地に教えてもらう機会を得られなかったので、研究書や研究会で聞きかじった話から試行錯誤して身に付けたのである。当時は、国立国会図書館の貴重書を、まづマイクロフィルムの複写を、2万円だったか、決して安くない金額を払って取ってもらって、その上で閲覧申請して1日掛りで、複写では分からない朱書の書入れや、濁点と紛らわしい和紙に漉き込まれた芥を、複写に書込んで行ったのである。それが今や、カラー写真で、肉眼以上に拡大して、自宅で見ることが出来る。もちろん、それでも分からないことはあるから、論文を書くのなら閲覧申請はして、出してもらうことにはなるだろう。しかし、小一時間手にすれば、十分である。
 そもそも蒐書趣味がないので、幼稚園児から小学校低学年まで、仏像など仏教美術に嵌まっていた頃には、初めはカラーブックス、小学生になって習い事を始めてからは、進級したら大判の写真集を買ってあげる、と云うことで習い事に励まされていたのであるが、まぁそんな按配では習い事自体を好きでやっていた訳ではないから、仏像を〝卒業〟してしまうと私は習い事に全く身が入らなくなって、中学までで全て止めてしまった。仏像の後で興味を持った火山や昔話から、余り本を買わなくなっている。特に昔話は老松町の図書館にあった関敬吾『日本昔話集成』を基準にして調べたので、その材料になった戦前の昔話集を主として見ていたので、いよいよ買おうと云う発想にならなかった。いや、最初、普通に本屋で買えると思っていたのである。それが、古い本は本屋には売ってないことだけが分かって、地元に古本屋がなかったせいか、古本と云うのが考えに入っていなかった*1。それで、いよいよ図書館に依存するようになったのである。
 かつ、ここまで挙げただけでも仏像、火山、昔話と脈絡なく道楽が変わっている。この後は昔話の聞書を試みて父の郷里ではせいぜい怪異談しか聞き出せず、それで怪異談ならば同級生からも聞き集められると怪異談の聞書をするうち、同じ話が江戸時代にも行われていることを知って近世説話に興味を持ち、そのまま江戸時代から身動きが出来なくなったのだけれども、怪異談、翻訳説話、故事要言、落語、滑稽小説、和刻本、洋学、実学、紀行、地誌、歌舞伎、浄瑠璃、歌謡、研究者の伝記資料(書簡)など、色々なことに手を出して、結局院生時代も殆ど本は買わなかった。私の使うような本はジャンルが限られるけれども、所蔵している図書館に行けば必ず在架していたし、同じことばかりしていると飽きてしまうので、やはり買い集めていては金も掛かる場所も取る。興味が逸れたときには邪魔になる。だから私にとっては、金を稼ぐよりも図書館に行く時間の方が要り用なのであった。
 だから、安物の雑書の類であっても和本の類を買おうなどとは、さらさら思わなかった。私が持っている中で一番古い本は、青春18きっぷが1回分余ったので出掛けた静岡の安川書店で買った『笹野文庫駿河史料目録』で、100年以上前のものはない。そう云う物は私の陋居ではなく然るべき場所に収まって、必要がある人の利用に供してもらえるならそれが一番良い。
 とにかく、蔵書家の秘蔵する原本を拝見して、みたいなことに魅力を感じない。そこまでせずとも幾らでも出来ること、やるべきことがあるだろうと思ってしまう。もちろん自分がそうした蔵書家になろうとは思いも寄らぬ。だから、図書館にないので仕方なく古本屋から買ったものもあるけれども、古書籍商のカタログで注文したことはない。まぁ、金がないんだけれども。大学図書館では何かの参考になろうかと玉英堂や東京古典会などのカタログを眺めることがあったけれども、カタログをもらって自宅で眺めようとは思えないのである。いや、古本屋にも余り行かない。買う金もないし、所持すると安心してしまって却って何もしなくなる。買わないのに冷やかすのは悪いと思う。幾ら眺めても買わなくても良い図書館で借りれば良いと思う。だから、私は基本的に、当り前に誰もが見得る図書館蔵書を使うことにしている。
 で、注意深く辿って行けば誰もが見得る、押さえるべき文献を見逃して、好い加減な説を述べているのを見ると、どうにかしたくなるのである。ただ、個人が見得る範囲は限られているから、思わぬ盲点、死角になって気付かぬことがどうしても出て来る。だから私は当ブログでは手の内を殆ど晒して、こうした物を見ればこう云う判断になる、と云うところを述べている。そして、先行研究を批判する。大学院では、ぼんやり言って通じる人に分かってもらえれば良い、と云う教育をされたけれども、はっきり批判しないと通じないと思う。但し、当ブログでも余り現役の人を相手にしていない。――そこは、教育の効果、と云うべきか。
 世間には一度解釈を定めてしまうと、反証となるべき資料を見ても自説を補強するもののように牽強附会してしまう人が幾らもいる。先入主と云う奴で、これが恐ろしい。別の材料を見ればまた違った判断になることは、普通にあることである。私が一つの専門ばかりをやりたいと思わないのは、対象と距離を取りたいからである。それから飽きっぽく移り気で、話が脇に逸れがちだからである。
 さて、ここらで本題に戻そう。
 反町茂雄(1901.8.28~1991.9.4)の本は、古典籍の移動や研究者の消息を確認するための資料として見ていた。『反町茂雄収集 古書販売目録精選集』『反町茂雄収集 古書蒐集品展覧会 貴重蔵書目録集成』としてその一部が出版されている目録類や、帳簿・カード類に基づく回想なので、記憶に頼っての「思い出」とは訳が違う。本書はその集大成となるはずであったが、当初全4巻の予定が4巻では終わらず、反町氏の死去により未完に終わった。そのため、最終巻の副題が内容と齟齬を来している。(以下続稿)

*1:このとき、歩いて行ける範囲に古本屋があって、私が金持ちの子弟だったら、買って集めるようになったかも知れない。