瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

道了堂(125)

 この辺りで、道了堂や大塚山について、他書に見られない情報及び見解を示している本を取り上げて置こう。
村下要助『生きている八王子地方の歴史』昭和59年5月25日 発行・定価2000円・有峰書店新社・414頁・四六判並製本

 標題は奥付に拠る。奥付上部には「村下 要助(むらしたようすけ)」とあって、

昭和4年1月11日生
由井第三尋常小学校
現在,㈲村下鉄筋工業所代表取締役
現住所 東京都八王子市緑町XXX番地
電 話 0426-24-XXXX

と紹介されている。
 410~414頁「おしまいに」は、414頁7行め「昭和五十八年十一月十五日」付。414頁2~5行め、

 私もまだ五十三歳ですし、これがおわりではありません。次から次へと思っております。どうぞ末/長くおつき合いをお願い致しますし、どんな小さなことでもありましたらおしえていただきたいと思/います。また、専門的にみて、大きく間違うところもあると思いますが、それについては次回と致し/ます。

とあって、奥付の生年月日からすると54歳のはずだが、それはともかく、この「次回」は出なかった。
 著書は確かに「次から次へ」と出して、昭和末までに次の2冊を出している。
・『邪馬台国は決定した【前編】』昭和61年12月15日 発行・定価1,500円・有峰書店新社・280頁
・『邪馬台国は決定した【後編】』昭和63年8月10日 発行・定価1,800円・有峰書店新社・315頁
 しかし、その後の消息は俄に分らない。
 412頁6~7行め「‥‥、地下足袋をクツ下もはかず素足ではく私でさえ、後代/へ少しでも知るところを残そうと、二十日もかかって、五、六百枚も書いたでないか。‥‥」とあるところからすると、本書は「二十日」程で原稿用紙「五、六百枚」を一気に書き上げたものらしい。学歴を見ても高等教育を受けていない、地方の篤学の郷土史家・古代史愛好家と云った人物像が想像されるのだが、本文中の其処此処に筆の勢いに任せて自分のことを語っており、かなりの部分が判明する。それだけに平成以降の経歴が全く明らかに出来ないのがもどかしい。
 ここでは「おしまいに」に略述されている経歴と、本書執筆の直接のきっかけについて述べているところを抜いて置こう。413頁2~13行め、

 昭和二十三年春十九歳のとき、ちょっとしたきっかけで純音楽が好きになり、その曲のよしあし*1/や、演奏家の上手下手を、だれとて仲間もいず、一人で論じている毎日であったが、昭和三十八年秋/三十四歳のとき、これもちょっとしたきっかけがあり、郷土の歴史に興味を持つようになったのであ/ります。以来二本を両立させて現在に至ったわけですが、共にまだ不完全でございます。音楽の方は/やはり一歩の長があり、先にいうように六十年末には小さいながらも音楽堂が出来上り、念願であっ/た青少年健全育成のための音楽活動が出来ようと思えます。
 今回この醜文を作るは、有峰書店さんからの要望があり、五十八年二月十九日に六、七人の先生方/と下話をする会を持ち、私は由木・由井を中心とした話をお受けした次第でございます。おわかりの/ように由木・由井地区に長井氏の城構えがあり、それが多くの他村へも波及してしまったわけです。/すでに加住地区の御本は出回っておりますが、私のこのあとには、市立第五中校長が最後で退官され/た先生とか、同じく第七中校長をなされた先生とか、現役の恩方中の先生やら、そのほか多くの学者/さん達の御本が出るようになっております。‥‥


 先行した「加住地区の御本」は次のもの。
・霞よし穂『八王子ふるさと風土図・Ⅰ加住丘陵編』昭和58年(1983)11月20日発行・定価1500円・有峰書店新社・168頁
 どうもこのシリーズ名では続刊されておらず、霞よし穂はかたくら書店から『八王子ふるさと風土図』の続刊をかたくら書店新書として出している。

 村下氏が自宅に建てた音楽堂については15~19頁「はじめに」にその切っ掛けから詳述されており、20頁上段に「コンクリート工事中の音楽堂(昭和60年11月完成予定)」の写真、下段に「小音楽堂の内部」の断面図が載る。
 経歴及び音楽堂については邪馬台国は決定した【前編】』267~280頁「あとがき」に、特に269頁8行め以降を「終りにあたって――私の生いたち」としてその後のことも含めて詳述している。ここには279頁3~5行めを抜いて置こう*2

 いずれにしてもマスコミから、いろいろ取り上げていただいたことに感謝してやみません。お陰様/で、現在では毎日毎晩のように誰かしら来てピアノを弾いたり、独秦や独唱や合唱など、またレコー/ドをかけたりしています。むろん一銭も取るものではありません。


 このマスコミの取材については、国立国会図書館デジタルコレクションによって幾つか判明した。
「文藝春秋」64巻10号(1986年10月・文藝春秋)「村下要助の音楽堂」
・「レコード芸術」36巻5号(通巻440号・1987年5月・音楽之友社)10~11頁<カラー口絵>連載 私のディスク・ライブラリー(41)村下要助さん
・「Pipers = パイパーズ : 管楽器専門月刊誌」9巻9号(通巻105号・1990年5月・杉原書店)6~7頁「「鉄筋屋」ホールを作る!」
 しかし、村下氏も村下鉄筋工業所も音楽堂も「Pipers」以後を辿ることが出来ないのである。せめて歿年月日くらいは知りたいのだけれども。――しかしこの音楽堂、短く見ても4年半は開放されていたことになるから、昭和62年(1987)~平成2年(1990)に高校生だった私と同世代で、ここで練習して音楽大学を受験した人もいるのではないか。もしそんな思い出があるのなら、聞かせて欲しいところである。(以下続稿)

*1:「よしあし」に傍点「ヽ」打つ。

*2:手書き原稿の「独奏」を「独秦」と誤植しているが校正者が引っ掛けるべきだったろう。