瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

祖母の遺品(11)花瓶①

 昨年の10月11日に「祖母の遺品(1)花瓶」として草稿を作り、18日に宛名書の解説を加筆したままになっていた。さらに少々(調査を要しない)加筆をして投稿することにした。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 箱とは別にあった板には、

名古屋市外堀町
師團長官舎
 
山善太郎殿
 
    東京市豊島区
    目白町四丁目四十一番地
      徳川家

との墨書の宛名書があった。
 現在、名古屋市には東外堀町(東区)はあるが「外堀町」は存在しない。
 師団長の官舎は東外堀町とは外堀を挟んだ西側、県庁・市役所の裏にあったらしい。
 現在の愛知県公館(中区三の丸3丁目2番3号)のある辺り。
 そして、発送元の徳川家は、目白に邸宅を構えていた尾張徳川家である。
 尾張徳川家と云えば、私のような者からすると財団法人徳川黎明会や徳川林政史研所の所在地、すなわち目白と云う印象なのだけれども、昭和になってから移り住んだことを初めて知った。
 すなわち、現在、往時の尾張徳川家本邸の敷地には「徳川ビレッジ」と云う33邸から成る高級賃貸住宅街(東京都豊島区目白3丁目8~11番)があって、そのHPの「徳川ビレッジとは」に、次のように紹介されている。

 目白と尾張徳川家
 尾張徳川家が目白に住み始めたのは昭和7年11月のこと。それまで暮らしていた麻布富士見邸(現、駐日フランス大使館)からの景観に煙突が増えたことを嫌った夫人の為に、尾張徳川家第19代当主である侯爵・徳川義親(1886-1976)は、昭和5年に子爵・戸田康保(1889-1948)から目白の土地を購入し、同級生の建築家・渡邊仁(1887-1973)に依頼して本邸を建築しました。 
 敷地内には渡邊仁設計の西洋館、麻布富士見町から移築した日本館を中心に、南側は広い庭園に観音堂や茶席が配され、西側の敷地は財団法人徳川黎明会を設立して‥‥


 すなわち、尾張徳川家が目白に移って後のものと云うことになるが、その時期は箱書により判明する。

徳川義親侯ヨリ拜領
 花瓶
 鎚起七宝製
昭和七年春子姫西郷吉之助侯と御
成婚之記念とし而
 
  昭和七年十二月 善太郎誌


 若山善太郎は当時名古屋の第三師団長であった。当時の写真は来年にでも紹介することとしよう。
 春子(1915.1生)は尾張徳川家第19代徳川義親(1886.10.5~1976.9.6)の次女で、西郷隆盛の孫西郷吉之助(1906.7.20~1997.10.12)と結婚している。
・第十版『人事興信録』下卷(昭和九年十月廿八日第十版発行・人事興信所)ト之部三六頁中段1~29行め「徳川義親」条の19~20行めに、

‥‥長女絹子(大正二、一〇生)は侯爵大炊御門經輝に/二女春子(同四、一)は侯爵西郷吉之助に嫁し‥‥

とある。
・第十版『人事興信録』上卷(昭和九年十月廿八日第十版発行・人事興信所)サ之部五九頁中段2~33行め「西郷吉之助」条の2~3行め、

西郷吉之助 〈正五位、侯爵/鹿兒島縣華族
 妻 春子 〈大四、一生、侯爵徳川義親二女、/女子學習院出身〉


 さて、この花瓶は形見分けとして祖母の次女のところに送った。その直前に寸法を細かく計り、写真を幾つも撮ったのだが、少し離れるつもりが随分祖母の遺品整理から離れているうちに、俄にデータを取り出せなくなっていた。追って「花瓶②」として投稿することとしよう。
 鎚起七宝については、「あま市七宝焼アートヴィレッジ」の「名品セレクション」に「槌起桜柳文花瓶[ ついきさくらやなぎもんかびん ]/大正」として、次のように解説する。

この作品は槌起(ついき)七宝(しっぽう)という技法で作られているものです。槌起七宝とは素地になる金属の表面部分を文様の形になるように槌などで立体的に打ち出して、その部分に七宝釉薬をさして焼いたものです。表面に柳の木と桜の花が描かれているこの花瓶は別名「都の春花瓶」とも呼ばれたものです。
これは大正12年(1923)の関東大震災で大きな被害にあった東京市(現在の東京都)が昭和8年(1933)に復興祭を開催するにあたって、記念品として作られたもので、花瓶の背の部分には俳人でもあった当時の東京市長永田秀次郎(青嵐)の句も刻まれています。
■ここがみどころ
槌起七宝は、1928年(昭和3年)に安藤七宝店東京支店の責任者であった安藤善親の発明によるものです。
記録では、実用化され製品が作られるまでに二年かかっており、当時としてはまだ誕生して間もない技術でした。


 さらに、レトロ &アート空間 「 古美術倶楽部 玉兎 」の「ホーム > ◆ 金属工芸安藤七宝 「 銅鎚起七宝 椿文小瓶 」も追加して置こう。

作者名 安藤七宝店
作品名 銅鎚起七宝椿文小瓶
寸法 高さ8.6cm 胴径9.3cm 口径4.5cm 高台径4.5cm / 重量 約212g
材質 銅
時代 大正~昭和初期
証明 在銘「安藤マーク」
状態 胴体凹みや内側釉薬に傷み・全体に古錆(緑青)有り / 箱なし
 
◆ 鎚起七宝とは まさに「鎚」で「起」こすの意で 主に銅板などに 焼きなましを繰り返しながら/金鎚(かなつち)で鍛え上げ成形する鍛金技術です その成形文様に七宝釉薬を塗り焼成し 何度もこの工程を繰り返したものです/小作品ながら 見事な椿文が盛り上げ技法で誂えられ 全体に拡がる 緑青が時代を感じさせ 実に味わい深い作品です ◆
 
販売価格 6,000円(内税)


 今日は5月下旬以来しばらく通っていなかった隣の市の図書館に、久し振りに出掛けて、目当ての本を見て(予測されたこととは云え)誠に嫌な気分にさせられていたのだけれども、薄暗くなった帰り道、自転車で祖母によく似た人を追い抜いた。おやっと思って注視していると祖母よりも更に背が低く、杖を突かずに歩いていることが分かった。そこまで似ている訳ではない。だから追い抜きざまに振り向いたりもしなかった。しかし、遠目に見た、全体に小さい感じと、髪型とが、どうも似ているように見えたのである。
 だからと云う訳ではないが、もうそろそろ再開しようと思っていた。寒いし家に籠もって、しかし急には進まないのでぼちぼち、祖母の蔵書・遺品の整理を再開することとしよう。(以下続稿)