瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森満喜子「濤江介正近」(16)

 私はこの小説を、東屋梢風のブログ「新選組の本を読む ~誠の栞~」の、2015/11/04「名和弓雄『間違いだらけの時代劇』」によって知ったのだけれども、東屋氏は何故か題を、本作を収録する短篇小説集を紹介した2015/10/08「森満喜子『沖田総司抄』」でも「濤江介正近」としている。主人公の名も「濤江介」もしくは「酒井濤江介正近」としている。これは徹底している*1
 しかし、森氏本人は「濤江介」ではなく「濤江介」と書いているのである。
 どうも、東屋氏は「」が入ると思い込んでいたらしい。それとも最初「」を入れて打ってしまったため、ワープロがその後「」が入る形で変換候補として提示してくるようになっていたのに、そのまま気付かずに入力し続けたのかも知れない。分からんけど。
 その後、ブログや Twitter(現 X)にて本作の情報が他にないか、検索して見たところ幾つかヒットしたのだが、本作のことは悉く「濤江介正近」としているのである。
 すなわち、検索して東屋氏のブログに気付き、東屋氏の記事を参考に自らの記事を書き上げたので、東屋氏の誤りをそのまま踏襲してしまっているのである。
 本書は、公立図書館には殆ど所蔵されていない。私は、たまたま近隣の市の図書館に所蔵があったので借りて読むことが出来たけれども。
 現在「日本の古本屋」には3冊、Amazon には2冊、Yahoo!オークションには3冊出品されている。メルカリには出ていない。
 それはともかく、東屋氏のブログに触れずに、中には『沖田総司抄』に自分で気付いたような風にして、題及び主人公を「濤江介正近」としている人がいる。しかし自分で見ていないのであれば何に依拠して書いたか、きちんと示すべきだと思うのである*2

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 Yahoo!オークションでは『沖田総司抄』は2冊、奥付の画像が挙げてある。
・昭和四十九年 九 月二〇日 第三刷発行・定 価 八九〇円
・昭和五十一年 十 月十五日 第五刷発行・980円
 第三刷は奥付に定価があるが、第五刷の当該箇所は私の手許にある第七刷と同じく記載がないので、定価は帯(表紙側)の写真に拠った。
 気になったのは奥付上部にある著者紹介である。第三刷の写真は発行日等しか写していないが、第五刷の方は著者紹介まで写っている。

森  満喜子(もり・まきこ)
大正13年横浜市生まれ。
昭和20年大阪女子高等医専(現・関西医大)卒。
昭和23年より大牟田保健所勤務,現在に至る。

と、ここまでは第七刷と一致する。続く3行が、第五刷は

著書『沖田総司幻歌』『定本沖田総司』『沖田/総司哀歌』
現住所 大牟田市浄真町136の2

であったのが、第七刷では著書に『沖田総司落花抄』が追加されて4点になり、そして最後の行が「現住所 熊本県荒尾市下井手188」となっている。
 色々と気になるのだが、今、私の手許に何冊か借りている本とも比較して見よう。それぞれ既に当ブログに取り上げてある*3。それから、森氏の著書は国立国会図書館デジタルコレクションでは殆ど「国立国会図書館限定公開」になっているのだが『定本 沖田総司――おもかげ抄』第一刷と、共著者として参加している新人物往来社 編『幕末のおんな』(昭和四十九年八月十日 第一刷発行・定 価 九八〇円・新人物往来社・242頁)は「送信サービスで閲覧可能」である。これも付け加えて置こう。
 昭和47年(1972)8月25日第一刷発行『新選組隊士列伝』では9人の「執 筆 者」の2人めに「森 満喜子 大牟田市浄真町 136 の 2」と住所のみ記載。昭和49年(1974)8月10日第一刷発行『幕末のおんな』も「筆者現住所」は5人中1人めに「森 満喜子  大牟田市浄真町136の 2」と住所のみ。
 昭和49年(1974)11月15日第一刷発行『沖田総司幻歌』は「〈著者略歴〉/森 満喜子(もり・まきこ)」続く3行は『沖田総司抄』と一致、そして「著書『新選組覚え書』(「沖田総司――おもかげ/抄」)『新選組隊士列伝』(「吉村貫一郎」)『沖田/総司哀歌』『沖田総司抄』」と共著も挙げ、そして最後は「現住所 大牟田市浄真町136の2」である。
 昭和50年(1975)11月15日第一刷発行『定本 沖田総司――おもかげ抄』は「〈著者略歴〉/森 満喜子(もり・まきこ)」続く3行は『沖田総司抄』『沖田総司幻歌』に一致、そして「著書『沖田総司哀歌』『沖田総司抄』『沖田総司幻歌』」と単著だけになり最後は「現住所 福岡県大牟田市浄真町136の2」である。
 昭和53年(1978)2月25日第四刷発行『定本 沖田総司――おもかげ抄』は「著書」の最後に『沖田総司落花抄』を改行せずに追加*4、そして「現住所 熊本県荒尾市下井手188大場医院」である。
 まづ気になったのは Wikipedia「森満喜子」項との齟齬である。すなわち、Wikipedia には、

神奈川県横浜市生まれ。1942年大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)卒。大学2年の時、大映映画「維新の曲」を見て、南条新太郎扮する沖田総司に魅せられる。1947年、父の仕事の関係で大牟田に転居、1948年大牟田保健所勤務。1976年、葛飾赤十字血液センターに勤務[1]。その間、沖田総司に関する著作を上梓。

とある。しかし「現住所」が昭和52年(1977)11月5日第七刷発行『沖田総司抄』に「熊本県荒尾市下井手188」そして上記『定本 沖田総司――おもかげ抄』第四刷に「熊本県荒尾市下井手188大場医院」とあるのだから、昭和51年(1976)に東京に勤務先を移したとは思えない。
 熊本県荒尾市は福岡県大牟田市の南に隣接し、下井手188は県境に位置する。Google ストリートビューで閲覧出来る、最も早い時期、2012年1月の写真では「デイサービス/ひなた」と云う施設になっており、2018年6月まで確認出来るが2019年9月の写真では看板が外されている。大場病院がインターネット時代まであったことは検索でヒットするので間違いないのだが、いつまで存在したのかは、まだちょっと確かめられていない。
 ただ「広報あらお」第1329号(2007 6/1号・荒尾市役所・20頁)7頁「基本健康診査(医療機関分)のお知らせ」の「医療機関名簿一覧表」に「大場医院|下井手188(倉掛)|☎66-0259」とあるのを見付けたので、平成19年(2007)まで存在したことは確かである。もし今も大場医院が存在しておれば、森氏がどのような資格で関わっていて、いつまで勤務していたのか、問合せようもあったのだが、これ以上はちょっと追跡出来ない。
 それはともかく、Wikipedia に戻って、この記述の典拠を「脚注」にて確認するに「1.^ 大牟田市立図書館」とあって、11月22日付「大和田刑場跡(23)」に「経歴・プロフィール」を引用した「大牟田市立図書館」HPの「郷土ゆかりの作家 > 森 満喜子」へのリンクが示されている。当該箇所を見るに「‥‥、昭和23~51年まで大牟田保健所勤務。 その後、葛飾赤十字血液センターに勤務。‥‥」とある。大牟田保健所に勤務していたのが昭和51年(1976)までだとしか書いていない。Wikipedia「森満喜子」項のこの辺りは、2016年11月30日にIPアドレス「115.177.131.149」が立項したときのままで、この立項者が「大牟田市立図書館」HPの記載を、大牟田保健所から葛飾赤十字血液センターに移ったと早とちりして、このように書いてしまったものらしい。
 いや、これはIP「115.177.131.149」ばかりを責める訳には行かない。「大牟田市立図書館」HPの提示する情報も不足している。昭和51年に大牟田保健所を退職して、その後に出た本の「現住所」になっている大場医院に移ったらしいのに、著者紹介の「大牟田保健所勤務,現在に至る。」を書き換えていないのも、問題である。しかし、そこから容易に誤りが発生してしまう。勝手に合理化することは慎むべきだし、情報源(典拠)は明示するべきである。今回、典拠が示されていたからこそ、誤りの原因も諒解された。――大牟田保健所を退職して荒尾市の大場病院に移ったことは確からしいけれども、それ以上のことは分からない。しかし誤りを一つ訂正出来たことだけでも今は満足して置こう*5。(以下続稿)
12月25日追記】「熊本県公報」第11789号(平成21年3月17日・熊本県・82頁)77頁に、「平成21年3月17日」付「熊本県告示第218号」に、「‥‥次の指定医/療機関から事業の休止の届出があったので、‥‥」として、

(医科)

医療機関名称 医療機関所在地 休止年月日
大場医院 荒尾市下井手188 平成20年12月/1日

と見える。平成20年(2008)11月いっぱいで事実上廃院となったようである。
熊本県公報」第11882号(平成22年2月16日・熊本県・8頁)3頁、「平成22年2月16日」付「熊本県告示第174号」に、「‥‥次の指定医/療機関から事業の廃止の届出があったので、‥‥」として2機関、その1つめが、

(医科)

医療機関名称 医療機関所在地 廃止年月日
大場医院 荒尾市下井手188番地 平成21年12月/18日

である。正式に廃院の届出をしたのは平成21年(2009)年12月18日である。

*1:今後修正するかも知れないので、敢えて強調して置く。

*2:一々指摘はしないが、これも、今後こっそり修正するかも知れないので、一応注意して置く。

*3:メモした記事は一々断らない。詳しく知りたい方は検索窓を活用されたし。

*4:2024年1月17日追記】「開業」と誤変換していたのを「改行」に訂正。

*5:2024年1月17日追記】ここで問題にした東京移転の時期は2023年12月25日に加筆修正したのだが、もう1つ大きな誤りを見落としていた。――大阪女子医専卒業を昭和17年(1942)としているがこれは「維新の曲」の公開年である。これは2024年1月13日に訂正して置いた。