瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森満喜子「濤江介正近」拾遺(06)

 返却期限が来て図書館に返したり、別の本を借りたりでなかなか思うに任せないが、毎日投稿しないことにしたので単著の最後まで、脇道にそれずに済ませてしまおう。
⑤『沖田総司落花抄』
 本書は特別区及び都下の公立図書館に殆ど所蔵がなく、私は第一刷(1977.5.20)を1冊だけ借りている。カバー裏表紙の右下隅に「52.6.20」の受入票がある。
 奥付上部、

〈著者略歴〉
森 満喜子(もり・まきこ)
大正13年横浜市生まれ。
昭和20年大阪女子高等医専(現・関西医大)卒。
昭和23年より昭和51年まで大牟田保健所勤務。
著書『沖田総司哀歌』『沖田総司抄』『沖田総司幻歌』
『定本沖田総司―おもかげ抄』
現住所 熊本県荒尾市下井手 188 大場医院


 奥付の記載内容は①『沖田総司哀歌』第十刷(1977.11.25)にほぼ同じ、標題と発行日以外の異同は細かい字の2行の「〠」が「〒」となっていることと「印刷所 文栄印刷/製本所 若林製本」。
 目録は奥付の裏1頁のみ「|林栄太郎著 知られざる沖田総司 四六判 1300円|三十一人会編 新選組隊士ノート 四六判 1300円|鹿島淑男著 新選組実戦史 四六判 1300円|山根貞男著 映像の沖田総司 四六判 1200円|」鹿島淑男について2023年5月11日付「赤堀又次郎伝記考証(51)」に予告した記事はまだ書かないままになっているが『新選組実戦史』と合せて遠からずその事績を報告することとしたい。
 第二刷(1977.6.25)の奥付は、第二刷の発行日が追加され、第一刷の発行日の字配りが少し広くなっている他は第一刷に変わりないようだ。このオークションサイトの画像には帯が掛かっているが、飽くまでも私が見た図書館蔵書との比較のために参照しているのでそこまでメモを取ることはしないで置く。
 239~241頁「あとがき」から、自身の経歴について語っているところを抜いて置こう。241頁3~10行め、

 終戦後間もなく医専を卒業してすぐに私は結核療養所に勤務したが当時はほとんど幕末と同じく患/者は続々と死んでいった。しかもそのほとんどが十代二十代の若い人であった。その後、私は保健所/に二十八年間勤めたが、はじめの頃は死亡率第一位の結核との闘いが保健所医に課せられた仕事であ/った。
 やがて、ストマイ、パスを初め、抗生物質が開発され、結核の手術が進歩し、更に結核予防法三十/四条、三十五条等の法的措置によって日本の結核は激減の一途をたどり、現在、ごく一部の地域を除/いてほとんどその闘いは終焉に近づいている。
 沖田総司を憶うときまって私は結核に殪れた若い患者達の顔が目に浮かんでくる。


 この辺りは先月 Wikipedia「森満喜子」項に加筆して置いた。
⑥『小説 沖田総司
 私は2つの館から借りているが、1月17日付(02)に示したように、どちらも「昭和五十三年六月二十五日 発行」とあって「第一刷」とか「第一版」とかしていない。1館は2023年12月9日付「森満喜子「濤江介正近」(01)」の【2024年2月6日追記】にメモしたように、カバー裏表紙に「6025」とある「受入」票が貼付してある。もう1館の本はカバー裏表紙の右下隅に番号票が貼付されていて「53.6.30」とあって刊行直後に購入されたことが分かる。
 この、書架に並べられるまでの7年の差はカバー背表紙に如実に表れていて、昭和53年(1978)購入配架の分は標題と、カバー表紙・裏表紙と連続している墨絵がここだけ群青色になっているが、昭和60年(1985)購入配架の方は紫色で、カバー表紙及びカバー裏表紙の墨絵がともに紫色であることからしても、紫色が褪色して群青色になったことが明らかである。
 カバー裏表紙折返しの目録は2月6日付(04)にメモして置いた。
 奥付上部の〈著者略歴〉は上記⑤『沖田総司落花抄』第一刷にほぼ同じ。異同は著書の最後に『沖田総司落花抄』が追加されていることと、現住所の「188」の前後が詰まっていることくらいである。縦組みのところは、前後を半行強空けて行間を詰めた2行「印刷所 音羽整版/製本所 小高製本」をメモして置けば良さそうだ。
 奥付裏からの目録は次の⑦ともども別に纏めてメモして置こう。
⑦『遙かなる沖田総司
 第一版(1979.10.25)を2冊見た。カバー背表紙、1冊は標題が褪色して浅葱色になっているがもう1冊はカバー表紙の標題と同じ紫色で、浅葱色は褪色の結果と判る。このカバー背表紙が褪色した本には、裏表紙見返し(遊紙)に「次に記した日までに返して下さい」票が貼付されているが、森氏の初期の単著に比べると読まれなくなって来ているようで期限印は9つ、最初は「55,1,1855,12.23」と刊行の翌年、次いで「ア 4.26」と何年だか分からぬが同じ緑色で「ア 6.-2ア 8.12」、そして黒で「’97.8.- 8/’97.8.22/’97.9.28」は同じ人が借りたのであったか、最後は「13.6.17」と2013年とは思えないから何故か一旦西暦にしたのにまた和暦の年に戻したことになる。
 カバー裏表紙折返しの目録は2月6日付(04)の最後にメモして置いた。
 カバー裏表紙、文字は左下にゴシック体で2行「009305012033061300円新人物往来社」。
 どうも本書から写植になったらしく文字がすっきりとしている。用紙はやや黄色みを帯びたものを使っている。
 奥付上部の〈著者略歴〉は⑥『小説 沖田総司』の著書の最後に「『小/説沖田総司』」を追加し、「現住所」は冒頭を半角分空け、また「188」と「大場医院」の間に1字分空白を作る。縦組み箇所「印刷所 文 栄 印 刷/製本所 大観社製本」この行間と前後の行間はやや広く同じくらい取っている。
 さて、これにより昭和54年(1979)10月にはまだ上京していないと察せられる。この後、森氏は次に取り上げる平成6年(1994)4月の⑧『新選組青春譜――勇と歳三と総司と』までしばらく著書を刊行しておらず、この間、既刊のものの増刷も滅多になかったらしく、あっても図書館には収まっていないので、動向を窺いづらいが、2月7日付(05)に触れた④『定本 沖田総司――おもかげ抄』の、ネットオークションに出品されていた第五刷(1988.5.10)の〈著者略歴〉により、昭和63年(1988)には東京都品川区に転居していたことが判るのだが、しかしこの〈著者略歴〉は「昭和23年より大牟田保健所勤務,現在に至る。」がそのままになっていて、少々残念な代物なのである。(以下続稿)