瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森満喜子「濤江介正近」拾遺(08)

 続けて単著の⑨⑩に及ぼうと思っていたのだが、昨日も述べたように、ともに<新装版>で、何ら新しい情報もないので、ここでは森氏の経歴を最も詳細に記している、次の共著を見て置くことにする。
新人物往来社編『沖田総司読本』第一刷(1990.10.15)
 番号は1月17日付(02)に示した著作リストによる。
 森氏はこれに、155~172頁「総司の終焉/虚空へ翔ぶ」を寄せている。
 森氏の最後の小説⑧『新選組青春譜』は、森氏が得手にしていなかったらしい長篇小説で、単著としては⑥『遙かなる沖田総司』以来15年振りである。
 しかるに本作はその4年前、すなわち森氏が⑥『遙かなる沖田総司』所収の諸作以来11年振りに発表した小説で、かつ最後の短篇小説と云うことになる。
 但し、平成2年(1990)の執筆かどうかは分からない。『新選組血風録』『燃えよ剣』などの脚本を手掛けた結束信二(1926.8.6~1987.5.30)が90~95頁にエッセイ「総司が斬る!/必殺の剣」を寄稿しており、これが別の企画のための原稿の流用でなければ本書は昭和62年(1987)には企画されていたことになるのだけれども。
 241~243頁「執筆者略歴」には12人、50音順と断っていないが50音順で、243頁下段8行め「森満喜子(もり・まきこ)」は最後。13~21行め、

一九二四年横浜市生まれ。大阪女子医専(現・関西医/大)卒。職業、医師。福岡県大牟田市保健所に約三十/年勤務後昭和五十六年上京、沖田総司のように結核で/死ぬ人が無くなるよう、今もレントゲンフィルムとに/らめっこをしている。著書『沖田総司哀歌』『沖田総/司抄』『沖田総司幻歌』『沖田総司落花抄』『定本沖田/総司』『小説沖田総司』『遥かなる沖田総司』など。
現住所 東京都品川区南品川五―一六―五〇
エクセルハイツ大井仙台坂XXX

とある。これにより森氏が上京したのが昭和56年(1981)と判明する。2月7日付(05)の最後に見たように、エクセルハイツ大井仙台坂は昭和56年10月竣工である。最初から購入して荒尾から移転したのか、しばらく貸家を借りて物件探しをして購入したのか、それから勤務先は何処だったのか、とにかく良く分からない。
 大牟田保健所退職後、そして上京後の勤務先は「葛飾赤十字血液センター」を⑧『新選組青春譜』に挙げるのみである。現住所としてしばらく「大場医院」の名が見えていて、どうやら夫(大場氏)の開業した病院らしいのだけれども、森氏がどのように関わっていたのか分からない。しかし、赤十字血液センター日本赤十字社の輸血用血液の採血、製造、供給を行っている施設だから、結核に対処するところではなさそうである。
 してみると、上京後『沖田総司読本』の頃まではこの「執筆者略歴」にあるような、結核病床を有する病院に勤務していたのが、⑧『新選組青春譜』の頃にはその第一線から退いて、赤十字血液センターの検査業務等をしていたのではないか、と思うのだけれども、しかし当時の赤十字血液センターの業務を知っている訳でもないから、何か結核の専門家が活躍出来る仕事があったのだろうかと、――まぁ、とにかく良く分からないし、親類縁者に医療関係者が全くおらず個人的にも医者と親しくない私には、まるで見当も付けられない。
 とにかく、以上、森氏の著書の「著者略歴/執筆者略歴」に見えるところを根拠に先月、Wikipedia「森満喜子」項を大幅に(しかし長文にはならぬよう)改稿した。――Twitter(現・X)には森氏に会ったことがあるとか、色々教えてもらったとか云う人の Tweet が散見される。これまでは私信を根拠に加筆する訳にも行かぬから Wikipedia の不備を訂正しなかった(出来なかった)これらの人々も、少しは加筆し易くなったのではないだろうか。是非とも加筆修正をお願いしたいところである。(以下続稿)