瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(01)

 昨日投稿した程度のものであれば、掃いて捨てる程の材料があるつもりだったが、早速行き詰まっている。材料はあってもそのままでは躰を成さない訳で、実はどれもこれも詰め切れずに放置したものばかりなのであった。
 そこで、本当に役に立ちそうもないものを引っ張り出してみる。これは、ある程度調べを進めたところで肝心なところの考証が済まされてしまったため、お蔵入りにした代物なのだが、例によって瑣末な事項に拘っての迷走ぶりが可笑しいので、修訂を加えながら上げて置こうと思う。

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 私は公立図書館巡りを殆ど病的な趣味にしていて、貸出カードも20以上持っている。常に図書館から借りて来た本が20冊以上積んである。地方に出掛けると、必ず図書館を探して別に用もないのに入ってみる。そして、自分の普段借りないような分野の書棚も含めて、とにかく一巡する。とにかく、同じ書棚でも前に立つ度に手に取る本が違うように、図書館が違えば、思わぬ掘り出し物があったりする訳だ。尤も、それで大層な掘り出し物をした記憶とてないが、とにかく用事もないのにうろうろしてしまうのである。
 それで、先日、ある図書館の文庫の棚で、蜂巣敦『実話 怪奇譚(ちくま文庫)』(二〇〇五年八月十日第一刷発行・定価700円・筑摩書房・243頁)を手にした。標題が気になったからである。私はかなり癖のある怪談好きで、そのことはこのブログで追々明白になって行くはずであるが、この本は実を言うと私好みの怪談の本ではなかった。しかし「ChapterⅠ 幻――夢か、うつつか」(9〜77頁)38〜44頁「村人皆殺し「杉沢村」の真実」に気になる記述があったので借りて来た。著者の蜂巣氏は「1963年栃木県生まれ」で、他にもちくま文庫『殺人現場を歩く』などの著書がある。

 まず、蜂巣氏は「「木曾の旅人」と学校の怪談」という小見出しで、テレビ番組での怪談の再現ドラマを取り上げている。「ジャニーズのアイドルが司会するバラエティー番組」での「「いま学校で流行っている都市伝説」の紹介」だというから、稲垣吾郎の「ホントにあった怖い話」ではないらしい(TV番組未確認だが「初出一覧」(235頁)に「村人皆殺し「杉沢村」の真実(「実話GON! ナックルズ」02・4・10/ミリオン出版)」とある)。いや、稲垣吾郎は当時はまだアイドルだったのだろうか。

 あらすじはこうだ。若い夫婦がいる。他に家族は、まだおさない息子がひとり。ある日、男は夫婦ゲンカのちょっとしたはずみで、妻を殺してしまう。つきとばされた妻が転倒し、家具の角で頭を打って即死してしまったのだ。犯行の発覚をおそれ、男はスコップで妻を庭に埋める。そのとき、実は妻は息があって「あなた……」と呟くが、動転した男はスコップで殴りとどめをさす。
 それからしばらくして、男は息子に自分が殺したことを気づかれたと思い、息子も殺そうとする。包丁を後ろに隠しもって食卓に座っている息子に近づくと、「パパに聞きたいことがあるんだけど……」といわれる。「なんだ?」と問いかえすと、「どうしてパパはいつもママをおんぶしてるの?」という。(38〜39頁)


 再現ドラマはもう少し続くが省略する。この話について、蜂巣氏は、

 これの元ネタは、「木曾の旅人」という有名な怪談だ。旅の男が一夜の宿を求めるが、その家の子どもが怖がってワンワン泣くので、宿泊をことわる。家の主人が子どもに「どうしてさっきあんなに泣いたのか?」とたずねると、「男が血まみれの女の人をおんぶしていたのだもの」と答える。まもなく、その男が女を殺して逃亡中の殺人犯だとわかる。(39頁)

と解説する。さらに「私が子どものころはじめてその怪談を本で読んだバージョンでは、男の背中で血まみれの女がゲラゲラ笑っていた」(39頁)とも付け加え、この項の最後を次のように締めくくる。

 ちなみに『半七捕物帳』の作者でもある岡本綺堂は、「木曾の旅人」という同じシチュエーションの怪談小説において、女の幽霊を登場させることなく殺人犯の恐怖を描きだしている。(40頁)


 以下「杉沢村」の話になるのだけれども、私が取り上げようとするのは、ここまでのところである。
 ここには少々事実誤認がある。
 まず、「木曾の旅人」という題で言えば、むしろ「有名な怪談」よりも岡本綺堂の方が遥かに古い。
 この辺りの事情は東雅夫の指摘がある。東雅夫編『岡本綺堂妖術伝奇集(学研M文庫・伝奇ノ匣2)』(平成14年2002年3月29日初版発行・定価1400円・学習研究社・822頁)に「関連資料」として『信濃怪奇伝説集』から「蓮華温泉の怪話」を引く。これは綺堂の作品ではない。収録した理由は東氏の解説「和漢洋にわたる猟奇の魂――伝奇と怪異の巨人・岡本綺堂」の末尾に説明されている*1

信濃怪奇伝説集』所収の「蓮華温泉の怪話」は、「木曽の旅人」の原話が実際に流布し/ていたことを裏付ける貴重な資料である。同篇の存在については、すでに加門七海による/言及(原書房版『岡本綺堂伝奇小説集2』解説)があることを付言しておく。


信濃怪奇伝説集』は杉村顕(後、得度して顕道)の著で初版刊行時は『怪奇伝説 信州百物語』との標題だった(『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談(叢書東北の声11)』2010年2月10日第1版発行・定価1800円・荒蝦夷・464頁)。
 もっとも、殺人犯が自分の殺した人間の幽霊につきまとわれる、というタイプの話は浅井了意『堪忍記』(China明代の『迪吉録』からの翻訳)や西鶴『万の文反古』以来の定型で、珍しいものではない。ただ、たいていは一人旅なのに宿屋でお膳が二人分用意され、注意すると連れがいたはずだ、と言われる。そこで連れの容姿を聞いてみるとまさに自分が殺した男なので戦慄する、というパターンだ。
 これは、別に殺人犯に限らない。毎年一緒に旅行に行っていた仲間が死に、一人少ない人数で定宿に泊まる。ところが、お茶は例年の人数分用意されたので、「今年は一人少ないの」と事情を説明すると、「いえ、確かに××様もいらっしゃいました」……とか、白石加代子四谷怪談の上演時の、喫茶店でお冷やが一人余分に出され、聞いてみると陰気な女性が一緒にいたと言われてゾッとしたとか、そんな話は少なくない。
 当事者たちには見えない幽霊を、応対する側の人間が見ている、というふうに括れると思うのだが、右に挙げた類話では、応対した人間は恐怖も異常も感じていない。幽霊は全く異常と気付かれないまま、常に存在している。そして、幽霊が見えていない当事者たちの方が応対する側の態度に異常を感じて、初めてぞっとするのである。
 ここが「木曾の旅人」と類話との間の、大きな違いである。その意味で、山小屋で、旅人を見て子どもが泣き出す、というパターンが共通する「蓮華温泉の怪話」を、綺堂「木曾の旅人」の原話と見なす東氏の推理は当っていよう。
 但し、活字になったのは、「蓮華温泉の怪話」よりも綺堂の「木曾の旅人」の方が早い。しかし、特にこれが「有名な怪談」になった気配はない。「木曾の旅人」は、一部で知られるのみだったのではないか。(以下続稿)

*1:2019年9月8日追記】799頁(頁付なし)が「関連資料」の扉で、中央に「木曾の怪物/蓮華温泉の怪話(『信濃怪奇伝記集』より)」と細目を示す。800~803頁「木曾の怪物――「日本妖怪実譚」より」。以上2箇所の「怪物」にルビ「えてもの」。末尾、803頁11行め「(「文芸倶楽部」明治三十五年七月号掲載「日本妖怪実譚」より)」。804~810頁「蓮華温泉の怪話――信濃郷土誌刊行会編『信州百物語 信濃怪奇伝説集』より」末尾、810頁17行めに「(昭和九年五月、信濃郷土誌刊行会刊『信州百物語 信濃怪奇伝説集』所収)」とある。東雅夫「解説 和漢用にわたる猟奇の魂/――伝奇と怪異の巨人・岡本綺堂」811~818頁の最後の段落、818頁11~13行めが次の引用。今回、引用文中に改行箇所を「/」で追加した。【2019年9月12日追記】この辺りのことは既に2018年9月16日付(57)にメモを済ませていた。