瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

新小説「怪談百物語」(01)

 以下の記事は「新小説」の原本を確認したりした上で、上げていこうと思っていたのですが、なかなか調べにも出られないので、大体のところを示すということで、出しておきます。原本を見る機会があれば、だいぶ先のことになるかも知れませんが、また追補したいと思っています。

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 「新小説」明治44年(1911)12月号の特集「怪談百物語」は、東雅夫編『百物語怪談会(ちくま文庫・文豪怪談傑作選・特別篇)』(二〇〇七年七月十日第一刷発行・定価880円・筑摩書房・346頁)にその全文が収録されて、簡単に読むことが出来る。

百物語怪談会―文豪怪談傑作選・特別篇 (ちくま文庫)

百物語怪談会―文豪怪談傑作選・特別篇 (ちくま文庫)

 この特集について、東雅夫『百物語の怪談史(角川文庫14782 角川ソフィア文庫354)』(平成十九年七月二十五日初版発行・定価781円・角川学芸出版・334頁)第四章「近代文学史と百物語」(135〜255頁)の「「怪談百物語」さまざま」では、以下のように捉えられている(186頁)。

 泉鏡花はもとより、水野葉舟、沼田一雅、岩村透らの名も見えるこの特集は、事実上の『怪談会』パート2というべき企画であったとおぼしい。
 しかも寄稿者の中に、日本橋芳町の名物芸妓で大の鏡花ファンだった柴田つる女をはじめとして文筆関係者以外の顔ぶれも混じっているところから推しても、これまた実際に挙行された怪談会をもとに編まれた可能性が高いのではないかと考えられる。いかにも速記からそのまま書き起こされたな、と思わせる箇所も多くて、やはり雑誌特集のせいか、『怪談会』よりも総体にナマっぽいまとめ方がなされているという印象を受ける。

 『怪談会』というのは、『百物語怪談会』に併録されている、明治42年(1909)10月刊の怪談集である。これについては別に詳細に及ぶ予定であるので、今は深入りしないで置く。
 東雅夫遠野物語と怪談の時代(角川選書474)』(平成二十二年八月二十五日初版発行・定価1700円・角川学芸出版・254頁)第三章「泉鏡花柳田國男」(91〜151頁)の「「怪談百物語」での両雄共演」にも同じような記述がある(149頁)し、『百物語怪談会』の解説でも手短に、同様の見解を述べている(345〜346頁)。
 しかしながら、その内容(『百物語怪談会』183〜328頁)を見ていくと、談話体ばかりでもないし、怪談ですらない稿もある。以下、当人の口調を止めていると思しきものを太字で、また談話体ながら原稿を読み上げたような文体のものを斜体 にして、談話に基づかないと思われるものと区別して、寄稿者を順に挙げてみよう。柳田國男池田輝方池田蕉園本田親二磯萍水すみや主人・宮崎一雨・関天園・柴田つる富士松加賀太夫きよし ・平井金三・坂東薪左衛門関根黙庵水野葉舟・安倍村羊・土井ぎん ・石橋臥波・沼田一雅岩村・児玉花外・泉鏡花――この判別に自信がある訳ではなく、人によっては異論もあろう(争うつもりはありません)。斜体は判断保留というべきものである。ただ、確かに、太字で挙げた各人の話は『怪談会』よりも「ナマっぽ」く「速記からそのまま」という印象を受ける。しかしながら、そうでないものの数も多く、もとになる会を設定する必要は、特にないように思われる。柳田國男・宮崎一雨・きよし・平井金三のは講演みたいだし、児玉花外や泉鏡花のは怪談というより幻想小説である。もし会を開いて話させたのであれば、このような「怪談百物語」という企画――研究ではなくハナシの特集からは外れるようなものが、こんなに入るようなことにはならないのでは、なかろうか。(以下続稿)