瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

平山蘆江『東京おぼえ帳』(3)

 桜が咲いたそうだ。しかし、花粉がひどい。10年以上前、花粉症が風物詩(?)のように流行り出した頃、先輩でボックスティッシュを持ち歩いて、鼻をかんでばかりいる人がいた。もちろんずっとマスクをしていた。――アレグラを処方してもらっているせいか、幸い、ずっと鼻をかんでいないといけない、という状態にはならないが、たまに垂れてきたり、泣けて仕方がなくなってしまうときがある。

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 住吉書店版の初版と再版の奥付を、先に確認して置こう。ともに和紙に刷って貼付してある。まず初版を見て置きたい。
 上下に太線が横に入り、その間に縦書きで次のようにある。

 東  京  お  ぼ  え  帳
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 定  価 参 百 五 拾 円
 地 方 定 価 参 百 六 拾 円
 著 者 平  山  蘆  江
 東京都中野区野方一の七八一
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 発行者 岡  枝  健  一
 發行所 住  吉  書  店
 東京都中野区住吉町四十二
 振 替 東 京 四 八 〇 七 七 番
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 印刷者 大  橋  佑  吉
 印刷所 博 文 堂 印 刷 所
 製 本 清  水 茂 登 吉
 昭和二十七年六月十五日印刷
 昭和二十七年六月二十日発行

    (検印紙)


 発行者だが、第一東京市立中学校(千代田区立九段中等教育学校)の卒業生に同姓同名の人物がいる。HP「九段ネット」の「お悔やみ情報」を見るに、「菊友会報71号から(2003年07月02日 更新)」に「中1岡枝 健一」が見える。ちなみに「81号菊友会報から〜前号以降にご逝去が判明した方々〜(2008年07月08日 更新)」には「中8 村松定孝」が見えている。昭和6年(1931)入学の村松氏が「中8」中学だった時期の8期生とすると、「中1」というのは大正13年(1924)開校時に入学した1期生ということになる。だとすると明治44年(1911)生ということになろうか。そして平成15年(2003)の上半期頃に没したことになる。同姓同名もあまりいなさそうだし、年齢からしてもおかしくはない。或いはこの人であろうか。
 再版の奥付もほぼ同じだが、定価と印刷発行の箇所が違う。摘記してみると、「定  価  參 百 五 拾 円/地 方 定 価 參 百 六 拾 円」そして「昭和二十七年六月十五日 初版印刷/昭和二十七年六月二十日 初版発行/昭和二十七年七月卅一日  再版印刷/昭和二十七年八月 五 日 再版発行」とある。初版で検印紙が貼付してあったところにも文字が入ったため、検印紙は奥付を刷った和紙の、上の横線の上を初版の奥付よりも余分に切り取ってスペースを作り、そこに貼付してある。検印紙は初版・再版同じもので、鋏で切ったらしい少しいびつな正方形に薄い灰色で太い「M」に、縦に3本「1」のような白い蛇の頭のような(目らしき楔形がある)棒が入り、そこに赤で平山の円印が捺されている。ブログ「奥付検印紙日録」2007-10-12「住吉書店」に鮮明な図版が出ている。なお、昭和30年(1955)には発行者が岡枝健一ではなく岡枝慎二になっている(2008-09-28「住吉書店」)。随分年の離れた兄弟ということになるが、字幕翻訳家の岡枝慎二(1929.3.31〜2005.5.26)と同一人物であろうか。柏崎市立図書館の蔵書検索の酒井忠正『相撲随筆』(1954年刊・住吉書店)も「発行者:岡枝慎二」である。
 住吉書店の活動時期だが、国会図書館のOPACを見るに、昭和27年(1952)から31年(1956)刊の図書59点がヒットする。
 住吉書店の本は他に平山蘆江『小唄解説』くらいしか読んでいないので、全てネット検索の俄勉強の脇道で長くなってしまったが、再版奥付を見るに、初版が出て一ヶ月半で再版を出している。売れたのであろうが、早くに再版が出た理由はそれだけではなさそうだ。目次を比較してみよう。
 「梨園の花」には異同はない。念のため、細目の頁数のみを示しておく。
〔初版〕一三/二八/四〇/五二/六一/七五/八七/九九
 本文は一三〜一一一頁までで、その裏は白紙、そして次の「狹斜の月」の扉がある。
 ところがこの「狹斜の月」の細目、頁数が初版と再版で異なっている。
〔初版〕一一二/一二二/一三二/一四一/一四九/一五九/一七〇/一八一
〔再版〕一一三/一二三/一三三/一四二/一五〇/一六〇/一七一/一八二
 扉をめくると、再版は「お妻とぽん太*1」で「一一三」と頁付があるのだが、初版では白紙になっている。「お妻とぽん太」はその裏にあって頁付は「一一二」なのである。つまり、初版では、本来1枚の紙の表裏に刷られるべき頁が、中扉を挟んで、2枚の紙に、奇数頁のみ、偶数頁のみ、刷られているのである。中扉の前後の2頁の白紙は頁付の与えられていない、本来想定されていなかった余白ということになる。再版は一一一頁の裏の白紙を112頁に当て、あるべき配置に修正している訳である。
 初版は一九二頁までだが、再版は一九三頁までで裏は白紙(194頁に当たる)。
 「絃歌の雪」の細目(頁付のみ)は以下の通り。
〔初版〕一九三/二〇五/二一八/二三〇/二四三/二五六/二六八/二七八
〔再版〕一九五/二〇七/二二〇/二三二/二四五/二五八/二七〇/二八〇
 再版は初版にない112・194頁がカウントされているために、2頁ずれている。初版も奇数頁から始まっていたので、ここは問題はない。初版は二八九頁まで、再版は二九一頁までで、それぞれ裏は白紙。
 「街頭情趣」の本文は、再版は中扉をめくると奇数頁「二九三」から本文が始まっているが、初版は白紙で、再版の二九三頁と同じ頁はその裏に「二九〇」の頁付で刷られている。
〔初版〕二九〇/三〇四/三一八/三二九/三四〇/三五二/三六三
〔再版〕二九三/三〇七/三二一/三三二/三四三/三五五/三六六
 つまり、ここも初版は「狹斜の月」中扉の前後と同じような不格好になっているので、再版はそれを修正して、前章末「二九一」頁の裏を292頁として処理し、この章が奇数頁から始まるようにしているのである。従って、292頁がカウントされたことで再版ではさらに頁付が1頁ずれて、総計3頁のずれになっている。
 初版は三七五頁まででその裏に広告。再版は三七八頁までで、広告は表裏1枚ある。(以下続稿)

*1:文庫版の目次「ぽんた」となっているがこれは誤植で、元版の目次も「ぽん太」である。