瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

偽汽車(1)

 古い書類を整理していたら、5年ほど前に見つけた怪異談のメモが出てきた。差し当たり松谷みよ子『現代民話考』を見るに、出ていない。たぶんこんな本まで当たってはいないと思うが、同じ土地、というか路線の話の報告も出てないので、ここに報告して置く次第である。
・現代詩文庫47『木原孝一詩集』(一九六九年四月十五日第一刷・一九八七年六月一日第七刷発行・思潮社・160頁)*1

木原孝一詩集 (1972年) (現代詩文庫〈47〉)

木原孝一詩集 (1972年) (現代詩文庫〈47〉)

木原孝一詩集 (現代詩文庫 第 1期47)

木原孝一詩集 (現代詩文庫 第 1期47)

 今、借りてきて、当時は読んでいなかった詩の方も読んでいる。
 カバーはなく、本体の裏表紙、左側に木原氏の写真があり、右側の上半分が茶色のゴシック体の黒田三郎の紹介文、下半分が木原氏の略歴で、その前半にこうある。

木原孝一・きはらこういち
1922年・東京都八王子市に生まれる.
1936年・北園克衛の「VOU」に参加.
1939年・陸軍技師として従軍,中国各地を
歩き,1944年,硫黄島に配属,翌年,米軍上陸直前に帰還.


 この経歴への興味、だけではないのだが、5年前にこの本を手にしたとき、自伝の125〜138頁「世界非生界」を見たところ、以下のような話が載っていた。 

 大正一五年。この年いっぱい、南村西田で送る。
 曽祖父の吾平じいさんがまだ生きていて庭の隅の三角/の藁葺小屋のなかで、狸や狐に化かされた話をしてくれ/た。当時、横浜線(東神奈川――八王子間)が開通した/ばかりで、夜行列車が通ると、その逆の方向から蒸気機/関車に化けた狸が、煙突から火を噴きながら、シュッ/ポ、シュッポ、やってくる。狸はほんものの機関車に負(以上126頁上段)けまいと懸命である。しばらくすると、ギャッという声/が夜空にひびく。線路のうえに、大きな狸が死んでいた/とさ。


 この「南村西田」だが、前年の大正一四年(1925)条の最後の段落に、「年末、……、東京府南多摩郡南村西田の母の実家である農家に預けられる。」とある。すなわち現在の東京都町田市金森で、西田は金森のうち南端、境川が西に湾曲して左岸(東)が半島状に突き出た辺りで、国土地理院の地形図には「西田」と記入されている。最寄駅は現在は東京急行田園都市線南町田駅(昭和51年10月15日開業)、JR横浜線では成瀬駅だが、当時、田園都市線は開通しておらず、横浜線はあったが成瀬駅(昭和54年4月1日開業)はなかった。従って当時の最寄り駅は横浜線町田駅(現、町田駅)である。
 横浜線明治41年(1908)9月23日に横浜鉄道により開業、大正6年(1917)10月1日国有化され横浜線となる。
 さて、この話の次の段落は「二歳としうえの叔父、園曽松義」との思い出で、127頁上段2行め「園曽松義は、昭和一九年、サイパン海面で戦死した。」との一文で締めくくられている。ついで昭和二年(1927)条「春、両親が迎えに来た。……」とあるから、この話は大正15年(1926)に園曽吾平から聞いた、大正末からしてつい十数年前の明治末の話、ということになる。
 その他、この自伝や詩について気付いたところは、別記したい。

*1:2020年1月24日追記】投稿当時貼付出来なかった書影を追加した。