瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(37)

 そう思って本書を細かく見て行くと、やはりおかしなところが散見される。
 まず、やっぱり時代設定が確認しづらいらしい。その最大の原因は第一章2の「すでに米寿を越え」である。
 作家本人が混乱しているケースについて、当ブログでも過去に、2013年4月7日付「松本清張「西郷札」(2)」や2012年9月18日付「松本清張「装飾評伝」(5)」、2012年1月23日付「平井呈一『真夜中の檻』(06)」等に指摘したことがある*1が、読者にもこういう確認が得手な人は多くないようだから、気にならない人も少なくないのだろうけれども。
 本書に関しては、当ブログにてこれまでしつこく確認して見た。作者はきちんと年表のようなものを作って、齟齬が生じないよう注意しているらしいことが分かるのだが、一般読者がメモも取らず、特に時代設定に注意せずに読んだのでは、Amazonレビューでも例えば、2014/2/28「★★★★★ 隠されている本当の「残酷さ」」でも、

 物語を紡ぐ縦糸は、フローベールの『ボヴァリー夫人』(1856)を思わせる不倫ドラマ。だがこの小説の本当の魅力は横糸、昭和戦前・戦争期の東京郊外における中産階級の暮らしの、そのディテールの描写にあると思う。
 ストーリーは昭和5年から19年、つまり12歳から26歳にかけて、東京で女中奉公をした布宮タキが、米寿を過ぎてから書いた自伝めいたノートを従孫(甥の子)の健史が読むという構図になっている。手記が書かれたのは平成18年頃と計算されるから、はるか遠い昔の話である。数々の伏線が戦争を挟む時の流れを強調する。例えば東京オリンピックと万博、ハワイ奇襲とハワイ旅行、ブリキの玩具の供出と小菅のジープの登場、30年代バブルと80年代バブル等々。上手い対比だと思う。タキにとって戦後はある意味で戦前のおさらいだった。

とあって、以下の内容についての批評は問題にするつもりはないので省略するけれども、かなり内容を読み込んでいるらしいこの評者でも、タキ本人が第一章2に「すでに米寿を越え」としているのにつられて、ノートの執筆時期を平成18年(2006)としてしまっているのである。しかしながら、最後章の時間は、雑誌掲載時期からしても(一応、作中の時間とは別ということになるのだけれども)6月5日付(04)で見たように平成21年(2009)で動かせない。タキはその「四年前」に死亡しているのだから平成17年(2005)没で、ノートの執筆時期は6月11日付(08)で計算したようにさらにその1年前の平成15年(2003)秋頃から平成16年(2004)早春に掛けてと思われる*2。タキは、昭和5年(1930)上京当時は尋常小学校を卒業したばかりだから確かに満12歳のはずで、昭和19年(1944)3月に帰郷したときもまだ誕生日の来る前だから満26歳で、計算は合っている。すなわちこの評者も大正6年(1917)生とは算出しているので、やはり冒頭近く、第一章2に「米寿を越え」とあるのが利いていて、タキ没後のことになる「平成18年頃」としてしまったのだ。この「すでに米寿を越え」は明白な誤りなのだから、一刻も早く修正されんことを希望する。
 その他にも、6月16日付(13)の最後の方に指摘した、タキの「仙台の工場で働いていた」長兄が「やはり空襲が怖いという理由で」帰郷していた、というのは昭和19年(1944)3月ではまだサイパン陥落前であって、やはりアナクロニズムという他はない。参考までにNHK「戦争証言アーカイブス」の特集「太平洋戦争と空襲」を挙げて置く。尤も、サイパン陥落については、2012年4月11日付「現代詩文庫47『木原孝一詩集』(1)」で触れたことがあったが、当事者と云って良い木原氏も記憶違いをしているのであった。記憶を辿ることはなかなかに難しいのである。(以下続稿)

*1:それぞれ、当日の記事だけでは不十分なので、記事の右下にある「<前の日」の右にある[  ]のボタンをクリックして数日遡って下さい。

*2:さらに1年遡る可能性も否定出来ない。