瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

小堀杏奴 編『森鴎外 妻への手紙』(2)

 まず、岩波新書版の頁と書簡の番号を示して置く。
 1〜40頁「明治三十七年」〔三月二十九日〕〜三八〔十二月三十一日〕
 41〜144頁「明治三十八年」三九〔一月四日〕〜一三四〔十二月三十一日〕
 145〜148頁「明治三十九年」一三五〔一月四日〕〜一三九〔二月十一日〕
 149頁「大正四年」一四〇〔十一月十一日〕
 150〜166頁「大正七年」一四一〔十一月四日〕〜一六一〔十一月二十七日〕
 167〜174頁「大正八年」一六二〔十一月一日〕〜一六六〔十一月十三日〕
 175〜178頁「大正九年一六七〔十一月十二日〕〜一六八〔十一月十二日〕
 179〜184頁「大正十年」一六九〔十一月一日〕〜一七五〔十一月二十日〕
 185〜187頁「大正十一年」一七六〔五月二日〕〜一七七〔五月五日〕
 次に、ちくま文庫版を示して置く。
 7〜46頁「明治三十七年」(三月二十九日)三九(十二月三十一日)
 47〜148頁「明治三十八年」四〇(一月四日)一三四(十二月三十一日)
 149〜頁「明治三十九年」一三五(一月四日)一三九(二月十一日)
 153頁「大正四年」一四〇(十一月十一日)
 154〜170頁「大正七年」一四一(十一月四日)一六一(十一月二十七日)
 171〜177頁「大正八年」一六二(十一月一日)一六六(十一月十三日)
 178〜181頁「大正九年一六七(十一月十二日)一六八(十一月十二日)
 182〜187頁「大正十年」一六九(十一月一日)一七五(十一月二十日)
 188〜190頁「大正十一年」一七六(五月二日)一七七(五月五日)
 岩波新書版とちくま文庫版と、総数は同じだが、明治37年(1904)と明治38年(1905)の数が違って、番号がずれている。
 これはどういうことかと云うに、岩波新書版の最後、227頁1行め、小堀氏の「父の手紙」の末尾から2行空けて、以下のような訂正がある。

 訂正  七一〔六月九日〕の手紙は明治三十七年六月九日の誤。
     即ち手紙一〇の間へ入る。


 最終段階になって気付き、組み直す煩を避けて訂正で済ませた訳である。 
 ちくま文庫版にはこの訂正はない。この訂正の指示通りに改訂しているからである。表にしてみる。

岩波新書版  ちくま文庫
  明治三十七年  
   →
〔六月三日〕    → (六月三日)
七一(明治三十八年)にあり    → 一〇(六月九日)
一〇〔六月二十一日〕    → 一一(六月二十一日)
一一三八    → 一二三九
  明治三十八年  
三九六九    → 四〇七〇
七〇〔六月九日〕    → 七一(六月九日)
七一〔六月九日〕    → 一〇(明治三十七年)へ移動
七二〔六月十三日〕    → 七二(六月十三日)
七三一三四    → 七三一三四

 すなわち、一〇七一の番号がずれている。
 もちろん、ちくま文庫版のようになっているのが良いのだが、しかし岩波新書版と番号がずれていることはどこかに注記して置くべきではないか。