・新潮文庫2819『津軽通信』(3)
昨日の続き。――『津軽通信』は太宰氏の生前にこの標題の本が出たのではないので「太宰治『津軽通信』の文庫本」ではおかしいので、そうなると、際限なくあるのだろうけれども「太宰治の文庫本」との題にしてみた次第である。
「短篇集」7篇①7〜45頁②7〜52頁「黄村先生言行録」①47〜68頁②53〜80頁「花吹雪」①69〜94頁②81〜112頁「不審庵」①95〜107頁②113〜129頁「津軽通信」5篇①109〜153頁②131〜187頁「未帰還の友に」①155〜172頁②189〜210頁「チャンス」①173〜187頁②211〜228頁「女神」①189〜202頁②229〜245頁「犯人」①203〜219頁②247〜266頁「酒の追憶」①221〜234頁②267〜283頁。
奥野健男「解説」①235〜242頁②284〜292頁。「解説」には扉はない。
「短篇集」「津軽通信」それから「解説」は、「目次」に頁数が出ていない。「短篇集」と「津軽通信」は、「目次」には1篇1篇それぞれに頁を示している。その細目についても確認して置こう。
前者は7篇で「ア、秋」①8〜11頁②8〜11頁「女人訓戒」①12〜17頁②12〜18頁「座興に非ず」①18〜21頁②19〜23頁「デカダン抗議」①22〜27頁②24〜31頁「一燈」①28〜33頁②32〜38頁「失敗園」①34〜39頁②39〜45頁「リイズ」①40〜45頁②46〜52頁。
後者は5篇で「庭」①110〜115頁②132〜139頁「やんぬる哉」①116〜122頁②140〜148頁「親という二字」①123〜128頁②149〜156頁「嘘」①129〜141頁②157〜173頁「雀」①142〜153頁②174〜187頁。
さて、この本の由来であるが、奥野氏「解説」の1頁めに以下のように説明されている。
この本は、太宰治の戦後の短篇小説で今まで新潮文庫に未収録の作品を中心に編集した。標題となっている『津軽通信』が、五つの短篇のシリーズになっているのが、この集のひとつの特色であり、それに合わせて、戦前期(昭和十四〜五年)、作者が短篇集ないし短片集と名付けて『皮膚と心』『東京八景』に集めた一連の掌編小説七篇と、戦争期(昭和十八年)の『黄村先生言行録』『花吹雪』『不審庵』のいわゆる黄村先生シリーズ三篇を加えた。そのためこれまでの太宰治集と、いささか違った面白さと味が出ているのではないか。太宰治もこういう遊びや試みもしていたのかと、読者は新たな興味を抱かれるに違いない。
収録順に解説して行こう。
「面白さと味」そして「新たな興味」のあることは、そうだとしても結局のところは「今まで新潮文庫に未収録の作品を中心に編集した」、落穂拾いといった風情の集なのであって、物は言いよう、のお手本のような書き出しとなっている。
それから「未収録の作品を中心に」というと、既に収録されている作品も混ざっているようだけれども、以下「収録順」に初出と簡単な紹介があるが、特にそのようなことは断っていない。初出については、本文のそれぞれの作品の末尾にも( )に括って示されている。
ところで「短篇集」であるが「収録順」の「解説」を見るに、これは「昭和十五年四月竹村書房刊の作品集『皮膚と心』所収の「短片集」4篇と「昭和十六年五月の実業之日本社刊の作品集『東京八景』」所収「短篇集」3篇を「昭和三十年刊の筑摩書房版太宰治全集では第三巻に七篇が『短篇集』として収められ」たのに倣って一括したので、作者自身が「短篇集」としてまとめたのではないらしい。
とにかく、『人間失格』『斜陽』『女生徒』など柱となるような作品が収録されておらず、版元の都合でまとめられたようなものなどを、図書館で旧版・新版が並んでいたような折にでも、また「太宰治の文庫本」として拾ってみることにする。