ところで、従来の通説への対し方も、さまざまです。「いけない」説を徹底的に批判する場合もありますし、そっちを殆ど無視して専ら自らの「よい」説の正当性を強調するか、いろいろですが、それはまぁ、戦略です。効果的な出し方をする訳です。死後も崇拝者がいるような人は、死後も、直弟子が睨みを利かしている間は叩かれません。そうかと思うと後ろ盾がある若手が、わざと挑発的に書く場合もあります。……そういう加減が計れない私のような者も、いるわけですが。
しかしながら、学界というところはどうしても閉鎖的な社会です。国文学に限ったところで近代をやっている人は古文が読めなかったり*1、古典の方でも時代や韻文・散文・藝能で棲み分けていて、専攻でない時代や分野には必ずしも通じていない訳です。それに、主要な論文発表の場となっている「紀要」は、確か谷沢永一が誰も読まないと言っていたのは言い過ぎですが、学界内でも自分の棲息地に関わって来なければ読まないでしょうし、学界外では研究らしきことをしたいところまで行かない人の目には、絶対に触れません。そんな狭苦しいところで、喧嘩したって仕方がない、そんな空気もあるのかも知れません。かつ、「いけない」説を批判することを「悪口」と同じように捉えて、卑しいことのように嫌うのです。そんな、「批判」と「悪口」の区別が出来ていないような「先生」も少なくない。だから「いけない」論文の「いけない」ところだけ指摘すると、彼奴は自分の意見もない癖にケチばかり付けてくる品性下劣な奴だ、みたいな感情的な反応をすぐに示してしまうようです。下劣さ加減はどっこいどっこい、いえ、むしろ……だと思うのですけれども。
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文学の論文の場合、医者の誤診のように命に関わったりはしませんが、重要な資料を参照しないまま論を組み立ててしまったり、思い込みによって本文を誤読したり、やはり先入観に従って資料を恣意的に並べて見せたりなどの、指摘されると恥ずかしい、みっともない間違いであることが多いので、これを責めて恥をかかせるのも少々大人げない、そんな気分にさせられるのは確かです*2。かつ、思い込みのようなことは誰にも起こり得ることですから、自分もいつ、責められる側に回るか知れません。教授などの身分の人が、あまり責められては学生の信頼を失いましょうし、社会的にも、一個人の間違いというに止まらず、文学研究全体に対する信頼を損ないかねません。――大学教授でも、こんな程度の思い付きを、きちんと検証しないまま堂々と発表してしまえるのか、などと*3。であれば、表立って間違いを論うのではなく、下手に出て、個人名を出さずによく読めば分かるように書いて、相手がそれと気付いても「喧嘩」にならないよう*4細心の注意を払うことに、なってしまう訳です*5。……いえ、もう文学研究なぞ無用の道楽くらいに思われているかも知れませんが。(以下続稿)
*1:(度々指摘しましたが)戦前の文献の本字を読めたつもりになっていたり。
*2:ですから、出来れば新資料を提示して、従来の資料では立論不可能である論を発表することにより従来の説をあっさり否定してしまえるような形に出来れば、角が立たないで済みますから無用な気遣いをせずに済みます。しかし実際には水掛け論程度にしかならないような対案を出しているような場合も、あったりします。
*3:私も自分の思い込みに気付いて夜寝られなくなったことがありますが、しかし私には失うものがないし、権威でもなんでもないので大事にならないし、だからこんなことが言えるのでしょう、きっと。
*4:気付いていないことも多いように思う。――とにかく、文学者気質とでも言いましょうか、プライドは高いので、批判に冷静に対処出来ずに、文学的に、いえ、感情的になってしまう人がいて、それは表面的には分かりませんから、対応は非常に厄介です。
*5:用心のため全てが回りくどく一読しただけでは分からないような書き方になって、より一層外部の人には分かりにくい、閉鎖性を増すことになる訳です。