瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(17)

 昨日書影を貼った中田薫『廃墟探訪』だが、特に参照するつもりもなかったのだが、今日、何となく立ち寄った図書館でふと思い出して検索してみるに、中田氏の著書のうち『廃墟探訪』だけが所蔵されていた。従って、中田氏の記述については後日改めて別冊宝島415と『廃墟探訪』を比較しつつ見ることにして、今日は、やはり小池壮彦『怪談 FINAL EDITION』第十話「侑子」の検証の続きになるのだけれども、――頭を自ら焼く自殺について、他の例を挙げて置くこととしたい。

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 2011年6月27日付(16)から随分空いてしまった。
 『子供役者の死』の「木曾の旅人」の本文について確認していたのであったが、古い本なので複写は取らず筆写したのだが、打ち込んでみるとどうも私のノートに誤脱があるらしい。そこで改めて閲覧して確認する機会を持って、それから続きを挙げようと思っていたら、そのまま2年が経過してしまった。
 そうこうしているうちに、中公文庫から続刊中の岡本綺堂読物集に『近代異妖篇』が収録された。
・中公文庫(1)

 千葉俊二 編『近代異妖篇 岡本綺堂読物集三』2013年4月25日初版発行・定価686円・中央公論新社・286頁
 さて、「木曾の旅人」に関しては従来、2011年1月4日付(03)に引いた綺堂の養嗣子岡本経一の記述が誤読されて、明治30年(1897)の「文藝倶樂部」が初出だなどと書かれたりもしていたのだが、これは東雅夫によって「文藝倶樂部」の当該記事が発掘され、「木曾の怪物(えてもの)」は「木曾の旅人」の導入部に使用されているだけで本筋とは関わらないことが明確になった。さらに岡本(経一)氏は『飛騨の怪談』を「木曾の旅人」に関連付けるような記述をしているのだが、これも東氏によって『飛騨の怪談』が復刻されて、無関係といって良いことが明らかになった*1。かつ、岡本(経一)氏は『子供役者の死』に掲載されるものを「木曽の怪談」と誤記しているのだが、これについては2011年6月19日付(10)に述べた通りである。
 新刊の中公文庫「岡本綺堂読物集」所収の『近代異妖篇』で注意されるのは273〜286頁、千葉俊二「解題」によって、『子供役者の死』以前のことが明らかにされたことである。尤も、まだ十分解明されていないような気もするのだが、それでも従来全くなされていなかった指摘で、かつ、これがここのところ注意している、6月26日付に引いた小池氏のコメントに「異様」な「死にざま」とあった、6月25日付で見たような「自殺」とも、関係して来るのである。(以下続稿)

*1:『飛騨の怪談』の原本については、2011年1月9日付「岡本綺堂『飛騨の怪談』(1)」及び、2011年1月10日付「岡本綺堂『飛騨の怪談』(2)」に、東京都立中央図書館蔵本について略述して置いた。