瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

記述の方針について

 12月3日付「赤いマント(43)」にて予告した通り、今日は「赤いマント」ではなく、長くやっているうちに乱れて来た記述の方針について自分でも確認して置こうと思った次第です。
 当ブログの基本方針は開設時の2010年12月30日付「御挨拶」にて述べた通りです。1点だけ、漢字については、私個人のメモとしては本字と新字を区別した方がやりやすいので、外字扱いにならない限り原典が本字の場合、本字を使用することとしました。再度原本を見に行かなくとも良いくらいに、再現したいと思っているのです。私が面倒だと思うことは、人も面倒なはずで、かといって私個人はあまり人のやったことを信用しないタチなのですけれども、調べたことは出来る限りそのまま示して置こうと思っているのです。
 私は、華麗な論を展開するような文章が、好きではないので、それから、論文を読むとどうしても調べの甘いところが気になってしまうのです。それでお前は、何時までも調べていて論文を書けないのだ、と言われてしまえば多分その通りで、妙な論文を書いて世を惑わすくらいなら、永遠に調べて、しかしそれを墓まで持って行く訳にも行かぬので、ブログに書いてしまえば良いと思った次第です。もちろん、何の見通しも纏まりもない訳では決してないので、何かきっかけがあれば書かないでもないですが、ここは調査結果を積上げる場にして、論らしきことはあまり書かないつもりなのです。他に書く場がある訳でもないので、何も書いていないことになってしまうのですけれども。
 似たようなことはタグ「記述の方針」を附したところに繰り返し書いています。そんなにブレていないつもりですが、ここで改めて、一応の確認をして置きたいと思います。
 2011年2月13日付「コメント欄について」その他で述べたように、コメント返しはしません。記事に欠けていたものを補ってくれるようなコメントはアップして置きました。意見交換の場にするつもりはないので、私としてはどうか、と思われるものは、有難く拝読して、公開にはしません。何かの主張であれば別の場所ですれば良いので、ここでする必要はないのです。それから、挨拶であるとか、他の場所で話が済んでしまうようなもの等も、ここには上げませんでした。一度上げたものの、よく読むと記事の内容で話が済んでいるように思ったものを削除したこともあります。しかしコメントは変な勧誘らしきものを含めたとしても、全部で30くらいしかもらっていないと思います。
 Twitterとか、Facebookやら、Mixiなども、していません。
 それから、タグ「記述の方針」は附していないのですが、12月14日付「赤いマント(54)」にて述べた、正しい説を示したところで誤った説明が全て訂正される訳ではないのだから、一々の誤りの指摘をして置くべきだ、というのも、従来からのもっと気楽に誤りの指摘が出来るような雰囲気にならないといけない、という主張と同じことです。ブログはそのような(詰まらぬ)指摘をする場として、適しているように私は思うのです。それから同じ日付の最後に述べた、典拠を明確にするべきだということは、これも以前書いたことの繰り返しですが、そうすると知ったかぶりが出来なくなります。けれども、読んでいないものは読んでいないとするよりありません。論文でも読んだふり・調べたふりをしている例を間々目にするのですが、どうせ1人の人間の蓄える知識には限りがあり、活動範囲も限られます。知らないことの方が多いに決まってるのだから、知っている範囲・調べた範囲を明示して置けば良いのです。当然見て置くべきものを見ていないのは、確かに侮蔑に値するでしょう。しかしそれを過剰に侮るようであれば、知ったかぶりの嘘吐き論文を助長することになりましょう。限られた範囲しか調べていないのに、さも調べられる限りの資料を参照したかのようなふりをして、偏頗な論を立てられては、詰まるところ学界の損失になるだけですのに。もっと、手の内を曝け出して、これを見たから、こう判断したのだ、という検算が出来るくらいの透明性を確保するべきです。他人にはよく分からない判断基準で分類した材料をもとに論を立てられても、困るのです。
 この辺りは吉本隆明について、当ブログ「柳田國男遠野物語』の文庫本」の、2011年4月26日付(08)にて批判しました。吉本氏批判は2011年4月7日付(03)から2011年5月14日付(13)まで続けたのですが、何だか馬鹿らしくなって止めてしまいました。その後、吉本氏の愛読者に会って話す機会があり、――そんな瑣事が気になるのはお前が「点」に拘ってモノを見ているからで、自分のような「流れ」でモノを把握しようとする人間には気にならない、と言われたのですが、それを認めたところで吉本氏の言説が手前勝手な妄想に過ぎない(であろう)ことは、違いないと思うのです。吉本氏の3分類は、正直、根拠の捏造というべきです。尤も吉本氏の場合、訳の分からないことが見え透いているから悪質な感じを与えないのですが、同じようなことを巧妙にやられて、……いえ、尤もらしく、実は恣意的なポイントを抽出して論に捏ね上げてしまったようなものは、少なからずあると思うのです。論文には枚数・字数の制限があって、基礎的な作業まで書き込む訳には行きませんが、今はブログやHPで自分がどんな作業をして準備したかは別に示せるはずで、示すべきだと思っています。それから、正誤表も示すべきでしょう。

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 そもそもは以前に読んだ本についてのメモ類を、当ブログには上げて置くつもりだったのですが、捌けるどころか溜まる一方です。
 最後に若干、引用の処理についての追加。行移りは「/」、省略した箇所は最初は「……」としていましたが、「……」は原文に使われていることが多いので「‥‥」としました。強調したところは特に断らない限りゴシック体、そうでないところは明朝体です。