瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(4)

・ノートの執筆時期(1)*1
 この小説は、最終章を除いて布宮タキという、第一章2、単行本7頁12行め・文庫版9頁14行め「すでに米寿を越え」た老婆の回想という設定になっている。この主人公は6月3日付(2)で見たように大正6年(1917)生で、年齢の勘定は数えではなく満年齢であるところからして、この「米寿」を迎えたというのも満年齢での88歳、すなわち平成17年(2005)の春か初夏辺り、時間的な余裕を考えると4月生れと考えたいところである。
 というのは、平成17年(2005)の年末までには死亡していないとおかしいからである。
 最終章7、主人公布宮タキの甥の次男の健史が、ヒロイン平井時子の息子、平井恭一を訪ねる場面で、平井氏は、単行本309頁10行め・文庫版330頁8〜9行め「‥‥。来年、八十に|なります。‥‥」と言い*2、最終章9、母親の手紙を健史に読み聞かせられた平井恭一は、単行本318頁8行め・文庫版339頁12行め「八十近くになって、‥‥」と言う。平井恭一はやはり6月3日付(2)で確認した通り、昭和5年(1930)の、やはり春か初夏辺りの生れだから、満80歳になるのは平成22年(2010)、従って健史が平井恭一を訪ねたのは、平成21年(2009)夏である。
 初出は5月24日付(1)に示したように、単行本2頁・文庫版4頁に拠れば、隔月刊「別册文藝春秋」の、平成20年(2008)10月8日発売の第278号(2008年11月号)から、平成20年(2008)12月8日発売の第279号(2009年1月号)、平成21年(2009)2月7日発売の第280号(2009年3月号)、平成21年(2009)4月8日発売の第281号(2009年5月号)、平成21年(2009)6月8日発売の第282号(2009年7月号)、平成21年(2009)8月8日発売の第283号(2009年9月号)、平成21年(2009)10月8日発売の第284号(2009年11月号)、平成22年(2009)12月8日発売の第285号(2010年1月号)まで8回連載で、まだ確認していないが1章ずつ掲載されたのであろう。初出誌の書影は、もし確認することがあれば貼ることにする。それはともかく、最後の段階でほぼ現実の時間と作中の時間が一致していること、連載開始時よりも後の時間に結末(最終章)が設定されていることが注意される。
 平井恭一にタキは死んだのかと問われて健史は、単行本309頁4行め・文庫版330頁2行め、「はい。四年前に亡くなりました。‥‥」と答えている。従って布宮タキは、やはり平成17年(2005)に満88歳で死亡したことになる*3。(以下続稿)

*1:6月10日見出し追加。

*2:健史が執筆した設定になっている地の文にも単行本309頁18行め〜331頁1行め・文庫版330頁16〜17行め「この八|十近い老/人」とある。

*3:7月27日追記】最終章2の冒頭の段落、単行本278頁12行め・文庫版297頁2行めにも「大伯母が亡くなったのは四年も前のことになる。」とある。最終章は6月28日付(25)の辺りで「最終章「小さいおうち」の構成」として確認したように、最終章1、平成21年(2009)5月に健史がイタクラ・ショージ記念館を訪ねる場面から始まり、そこから最終章2〜5はなぜイタクラ・ショージ記念館を訪ねたのかの説明(的回想)となっている。そして最終章6でイタクラ・ショージ記念館の場面に戻り、最終章7〜9、その年の夏に平井恭一を訪ねている。