瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

中島京子『小さいおうち』(5)

・ノートの執筆時期(2)*1
 主人公・布宮タキの家には、近所に住む甥(妹の子)の智*2の家から、大学生の次男の健史が、単行本279頁11〜12行め・文庫版298頁2行め「食料を持っ/ていく」とか「電球の交換に行く」とかそんな用事で、高齢の大伯母の様子を見ることも兼ねてであろう、単行本279頁10〜11行め・文庫版297頁16行め〜298頁1行め「一週|間に一回/あればいいほう」ながら、単行本279頁10行め・文庫版297頁16行め「部屋を訪ね」ているのだが、ノート執筆開始からしばらく、第一章11、単行本35頁16行め〜36頁2行め・文庫版40頁2〜5行め、タキに「お風呂の具合が悪くなった」ので呼ばれた健史は、タキの「外出中」に着いてしまって「合鍵で中に入」り「ほったらかして」あったタキのノートを「読」む。以後、単行本41頁3行め・文庫版46頁3行め「ときどき」少しずつ続きの書き足されるこのノートを「盗み読み」して、大伯母にあれこれと「妙な」意見を言うようになるのである。
 健史の発言については、後で纏めて検討することとして、タキは健史という読者を得てmotivationが上がったらしく、以後、しばしば健史の頓珍漢な発言と、それへの反論を書き足して行く。けれども、内容がヒロイン平井時子に纏わる秘められた恋に及ぶに至って、次のように書く。第七章10、単行本265頁16行め〜266頁1行め・文庫版284頁12〜13行め、

 健史になど、見せなければよかった。もう、見せるのはよそう。
 これからまた、隠し場所を考えなければならない。


 以後、健史に見られることはなくなったのだが、既に認知症を発症していたらしいタキは、最終章2、単行本279頁8行め・文庫版297頁14行め、自分でも「しまった場所を忘れてしま」うのである。それは隠し場所を変えて間もなくのことで、続きは2日ほど(第七章11・12)しか書いていない*3。単行本279頁3〜4行め・文庫版297頁9〜10行め「ぱったり見せなくなってずいぶ/ん経過して」健史が「すっかり忘れて」しまった時分に、単行本278頁15行め・文庫版297頁5行め「私の心覚えの記をどこにやったのよ」だの、単行本279頁6行め・文庫版297頁12行め「お前が持って行ったんだろう」と健史を責める始末。そのまま続きを書かれることのなくなった未完のノートは、没後に単行本281頁2行め・文庫版299頁14行め「米櫃*4の奥」から発見されるのである。

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 このノートの執筆時期については6月5日付(4)にて、書き始めた時期を第一章2の記述から、満88歳を越えた平成17年(2005)の初夏くらいと見当を付けて見た。さらに、最終章7の記述から、タキの死が平成21年(2009)夏に「四年前」とされていることから、その年のうちに死亡していることになると、確認して置いた。
 従って、タキのノートにしばしば挟まれる現在に関する記述は、平成17年(2005)のことと限定される。――はずである。
 ところが、第二章11の冒頭、単行本73頁2行め・文庫版80頁7〜8行めに、

 今年も年末が近づくが、年の瀬、というものが、だんだん味気なくなってくるように|思う。‥‥

とあり、第三章1は、

 甥の一家が総出で旅行中なので、今年の正月は、どこも行くところがない。

と書き出される(単行本78頁1行め・文庫版86頁3行め)。第三章4、単行本90頁15〜16行め・文庫版99頁16行め、「お年玉をせびりに寄」った健史が「甥夫|婦のハワ/イ土産」を持ってきているから、第二章・第三章の間で年を跨いでいることになる。
 没年は動かせない。そして「すでに米寿を越え」と云うのも、タキは第二章1、単行本41頁4行め・文庫版46頁4行め「週末、甥の家に晩御飯によばれたので出かけて行くと」とか、第二章11、単行本73頁6行め・文庫版80頁11行め「先日、甥のところに夕飯をよばれたが」とあって、甥の家で米寿の祝いをしなかったとは思えないから、これも動かせないであろう。すなわち、設定が破綻しているとせざるを得ないのである。(以下続稿)

*1:6月10日見出し追加。

*2:単行本282頁16行め・文庫版301頁10行め、ルビ「さとし」。

*3:さらに続きを書くのを逡巡しているうちに忘れてしまった、つまりもうしばらく覚えていたかも知れないが、そう長い間ではあるまい。

*4:ルビ「こめびつ」。