瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

学会誌の訃報欄(1)

 先日、遥か以前、まだ院生だった頃に引き受けてしまったためにやっている古典研究関係の仕事の調べ物で久し振りに出身大学の図書館を訪ねました。校友の資格でずっと継続して貸出を受けているのだけれども、普段は通勤途中に定期で立ち寄れる別館に寄ってしまうので、本館に来たのは数ヶ月ぶりです。そうするとやはり、資料の量が違うので雑誌その他の棚を廻るだけでついつい長居をしてしまうのです。
 さて、雑誌の棚で、私が以前所属していた学会の機関誌の新しい号を何冊か、ぱらぱらとめくって見ました。当初、博士論文を提出して研究職は目指さない、と決めた頃には、細々と研究活動だけは続けようと考えていて、学会にもそのまま籍を置いておくつもりでいたのですけれども、そもそも学界の研究動向に殆ど関心がなく、修士の頃は全ての学会発表を聞いて、質疑等まで細大漏らさずメモを取っていたのですが、自分のスタイルが確立されて来ると他人の研究発表には突っ込み以上の関心が持てなくなり、今となっては他人がどんな研究発表をしようがどうでも良くなってきました。自分が興味を持っていることであっても十分に調べ尽くせるとは思えないのに、この上、自分が首を突っ込む余裕のない他人の研究を聞いたり読んだりしたところで仕方がない。――そんな気分な訳です。まぁ、若い頃は、もし万が一研究職に就いたら、学生指導の必要からその時代全般について一通りの知識を身に付けて置かないといけない、などと真面目に考えておったのですけれども。
 ですから、学会誌を見ても論文は題名を見るくらいで、もちろん私の専門に関わるようなものであれば本文も眺めますが、そういうのは余りないので、すぐに巻末の「彙報」に目が行きます。「退会者」だの「転居先不明」だの「訃報」欄に、知った名前がないかチェックするためです。
 そうすると、ある号の「訃報」欄に、私が以前参加していた研究会にいたAさんと、私の出身大学の先輩B氏の名前を目にしました。両方とも連絡を取っていない人で、双方の関係者とも今はほぼ音信不通なので(学界にいる人と連絡を取り合っても私とは行き方が違うので話がまるで噛み合いませんから)知らずにいたのです。――ちょっとびっくりしました。特にAさんは、私よりも少し若いはずなので「まさか」と思い、しかし姓は同じだけれども名が違うような気がして、機関誌のバックナンバーを取り出して執筆者索引にあたってみると、……やはり別人でした。所詮その程度の付き合いだったのですけど、それでもさすがにホッとして、今度は別の棚に移りました。
 先輩B氏の方は、名前に見間違えがあろうはずもなく、これ以上外出先では調べようもないので、帰宅してから検索して見ようと思ったのです。
 帰って検索してみると、もう大分前に、数年の闘病生活の後に死去していたことが知れました。(以下続稿)