瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

筒井康隆『時をかける少女』(3)

大林宣彦監督映画(2)時間割*1
 原田氏と高柳氏の演技について、学芸会レベルという酷評もネット上には散見される。
 演技が下手だというのは、2年後、昭和60年(1985)9月14日公開の『早春物語』のロケ現場で原田氏を見ての正直な印象なのだけれども、『早春物語』の監督澤井信一郎(1938.8.16生)は原田氏に演技させようとして、十数回もやり直させ*2ていた。一方、大林監督は原田氏の中学卒業式と高校入学式に障らないよう春休み中に撮るという強行軍だったこともあって、煩く演技指導せずに素のままやらせたのだろう。むしろそれが正解だったのだ*3。高柳氏の「棒読み」も、特典映像「大林宣彦監督に聞く」の前回引いた箇所の直前(09:57〜10:19)に大林氏が「この青年もまた大変古典的でねぇ、役者になりたいというよりは何かむしろラジオのディレクターになりたいというふうな夢を持っていた、この古典的な少女に対する古典的な相手役としてね、まぁしかも時空の遥か彼方から来たと。そういう意味でね、高柳君を起用した訳ですね」と語っているように、古語と現代語ほどの違いではないにしても「西暦2660年」の「未来人」の話す言葉は当然変化しているだろう。すなわち、未来語の話し手である深町一夫(偽者)が、現代語を自然に崩して(ネイティヴとして)喋れないのは、むしろ自然なのである。
 以下の記事は先月、まだ原作を読まないうちに書いた。原作と対照すると映画の脚色のおかしなところにいくつか気付かされるのだが、まずは映画だけ見ての疑問点や分かりにくい箇所の確認をして行くことにしよう。

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 8月11日付「吉田秋生『櫻の園』(3)」や8月21日付「吉田秋生『吉祥天女』(6)」でも述べたように、私は学校を描いた創作の中で、古典がどのような位置を占めているのか、興味を持っている。
 その意味ではなかなかに興味深い作品であった。
 ところでWikipediaでは、根岸季衣(1954.2.3生)扮する立花尚子先生を「和子のクラス担任」としているが、これは誤りで、岸部一徳(1947.1.9生)扮する福島利男先生(4月17日生)が主人公芳山和子たち2―Aの担任である。
 この福島先生が国語教師なのだ。
 それはともかく、Wikipediaが誤っていることを念のため根拠を示して確認して置こう。
 1回めの「四月十六日(土)」の学校での場面(00:06:53〜00:20:54)は、まず満開の桜の下を登校する場面があって、続いて立花先生の授業の場面(07:17〜08:41)、まず根岸季衣を映すのではなく黒板の右(入口側)の壁に貼ってある、模造紙に手書きの時間割表が映る(07:17〜07:19)。
 但し、この場面では最上部が切れている。そこで2回めの「四月十八日(月)」の始業前の場面に映った、同じ時間割表の左端(00:51:55〜59)を見て置く*4

体育 物理
総合国語(漢) 英語
英語 数ⅡB
物理 化学
世界史 総合国語
数ⅡB 世界史


 横長の丸文字に近い文字で、昔はこういう手書きの時間割表が大きく掲出されていた。なお、忠実に再現するのが厄介なので横に並べたが、実物では2字と3字の枠は左上から右下へ斜めに文字を並べており、「英語」も同様に左上に「英」右下に「語」と黒で書いて赤のアルファベットは左下に挿入している。また「数ⅡB」は上に「数Ⅱ」と並べて下に「 B」としてある。
 4月16日分には映し出されなかった1段めは曜日であった。すぐに思い付きそうなレベルの問題だけれども、典拠を示して置きたかったのである。そこで、時間割表を復元してみたい。

体育 物理 数ⅡB 英語 総合国語 保健体育
総合国語(漢) 英語 化学 倫社 英語 物理
英語 数ⅡB 総合国語(古) 体育 世界史 英語
物理 化学 世界史 数ⅡB 数ⅡB 総合国語(古)
世界史 総合国語 クラブ活動 美術芸楽 倫社 \ 
数ⅡB 世界史 化学   \


 「美術/ 芸楽」は「美術/音楽」だろうと思うのだが「芸」としか読めない。その下は2時間続きということで「ヽ」を2つ連ねてあるのだが、再現出来なかったので「〃」で代用した。「総合/国語(漢)」の(漢)は丸で囲われている。(古)も同じ。土曜日の5時間目6時間目は仕切らずに縦長の「\」が引いてある。
 週33齣で、国語5齣(うち古文2齣・漢文1齣)英語5齣(Reader3齣・Grammar2齣)数学5齣(全てⅡB)社会6齣(世界史4齣・倫理社会2齣)理科6齣(物理・化学各3齣)保健体育3齣(体育2齣・保健1齣)芸術2齣、そして部活動とは別のクラブ活動が1齣である。世界史が多いのが気になるが、私なぞはいろいろな変な科目を増やすのは止めて、こんな風にシンプルに基本をやってもらいたいと思っている。特に「演習」授業などというのは、なくても良いと思うのだ。その意味では、受験戦争と言われてはいたものの、あの頃の方が考え方は大らかであったと思う。今は一般入試以外の勉強せずに入る方法が沢山ある上に、変な入試対策の授業が増えて、高校教育のそもそもの目的が見失われているように思うのだ。
 それはともかくとして、立花先生の授業は、土曜日1時間めの「保健体育」の新年度第1回め、映画に切り取られた「モモクリ三年/カキ八年」は授業のマクラ(導入部分)なのである。
 そして総合国語(古文)の授業が福島先生の担当で4時間め(08:41〜09:26)、授業が終わった後の福島先生の挨拶「といったところで、今日の授業はおしまい。土曜日の掃除当番はそれぞれの受け持ちをきちんとやって帰ること、いいね?」(09:26〜35)それから、「あっそうだ、神谷ぁ。この鍵、理科教室の当番に渡してやってくれ。理科実験室に鍵が付いたんだ。どうもこの春の間にぃ誰かが勝手に入って実験室の薬品を悪戯した様子があるんだな」と、学級委員らしき神谷真理子に頼む辺り(09:55〜10:12)からしても、福島先生が2―Aの担任のはずである。
 先に時間割表に注目した2回めの「四月十八日(月)」の学校での場面(00:51:17〜56:01)からも、根拠を挙げて置こう。
 まず、黒板に日付を書く神谷真理子との噛み合わない会話の後、右隣の席の堀川吾朗とも噛み合わない会話を交わす。吾朗の前の席の神谷真理子が二人をちらと見ながら着席し、そのまま硬い表情で黙って聞いているという思わせぶりな描写(52:46〜53:08)がある。それから福島先生が入って来て、号令があって「みんな元気か? えー、今週の目標は、自覚と責任のある行動を身に付けること、すなわち、新しい気持ちで自分を見詰め直す」と挨拶する。時間割からしても「総合国語」ではないし、これは朝のHRの場面(00:53:08〜32)としか思われない。やはり福島先生が2―Aの担任なのである。
 次いで1時間目の体育(00:53:31〜52)の場面、そして2時間目の総合国語(漢文)の授業(00:53:52〜00:54:59)そして学校の場面の残りは放課後の部活動(弓道部)である。
 それでは次に、福島先生の授業を見て置こう。(以下続稿)

*1:11月29日追記】「大林宣彦監督」を追加した。

*2:投稿当初「た末、暫時休憩を宣言したのだった。」としていたが、正確な記憶ではないように思えて、改めることにした。

*3:尤も、『早春物語』は1場面のロケを見ただけだから、全体を見たら印象が変わる可能性もあるのだけれども。

*4:2020年10月17日追記】以下の2つの時間割表とも「|」を縦罫代わりに各枠の頭に入れて置いたが、はてなブログ移行により邪魔なだけになったので削除した。