瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(145)

毎日新聞社 学生新聞本部 編『毎日小学生新聞にみる子ども世相史』1997年1月4日第1刷発行・定価4,369円・NTTメディアスコープ・カラー口絵15頁+447頁・B5判上製本

毎日小学生新聞にみる子ども世相史

毎日小学生新聞にみる子ども世相史

 索引はありませんが、巻末、404〜445頁「大人年表・子ども年表」は「毎日小学生新聞」の前身である「日本小学生新聞」「大毎小学生新聞」が創刊された「1936[昭和11年]」に始まって、創刊60年の「1996[平成8年]」に及んでいますが、406頁「1939[昭和14年]」条、下段の「子ども年表」の最後(18〜19行め)に、明朝体太字で、

◆「赤マントの男が東京を徘徊し、血を求めて通行人に傷/ をつける」という噂が小学生から広がる→159ページ

とあります(ハートマークを◆で代用した。)。159頁は、133〜170頁「第3章 家庭での遊びを通して見た子どもたち」として7つの節があるうちの5つめ、158〜161頁「こわいけど楽しい怪談 子どもがこわいものは今も昔も変わらない」の節です。
 本文は3段組で紙面の複写が随所に掲載されています。すなわち、158頁下段は「口が耳までキューと裂けて」という口裂け女に関する記事(1979.6.8 毎日新聞)で、159頁と160頁の上段中段は2段抜きで「日本の妖怪たち 絵と文・水木しげる」の、「パート6 ▼98▲ 口裂け女」(1994.5.12)と「▼35 砂かけばばあ」(1993.8.10)です。本文は160頁下段までで、161頁は「香山リカの世の中バトルロイヤル」というコーナーの「▼▼4▲▲ 大人たちの怪談とは?」*1です。
 本文はひとまとまりの文章ですけれども、見出しが2つあって、まず158頁上段1行め「■「不思議」を楽しむ子ども」と160頁下段5行め「■おばけのキャラクター化」です。■は中に白く◇を抜いてあります。
 それでは、赤マントに言及している段落を抜いて置きましょう。159頁下段8〜21行め、

 また、一九七四年ごろは「コックリさん」、七九年/には「口裂け女」が子どもたちの間に広がった。年表/をめくると、コックリさんは、明治時代や戦争中にも/流行した記録がある。八〇年には大阪市の中学校で、/コックリさんのお告げに従って、四人の女生徒が同じ/クラスの女生徒を定規などで殴ってけがをさせた記録/もある。赤いマントの男が東京を徘徊し、無垢の血を/求めて通行人を傷つけるという「赤マント」の噂が小/学生から広がり大流行したのは、一九三九年だった。/「口裂け女」は、この「赤マント」と話の骨格は似て/いる。小学生新聞の一九九四年五月十二日付紙面では、/漫画家の水木しげるが、「江戸の新宿あたりに出現し/たという話がある」と紹介している。要するに繰り返/し語られているのだ。*2


 上段中段に掲載されている記事の複写を見るに、6段ある本文のうち3段め7行めから4段め5行めまでの段落に、

 ところが、この「口/裂け女」、じつは寛政/(一四六〇〜一四六五/年)のころにも、江戸/は新宿あたりに出現し/たという話がありま/す。*3

とあります。「江戸の新宿あたり」というのは「江戸時代」の「新宿あたりに」としてもらわないと落ち着きません。ところで寛政は西暦1789〜1801年で、ここは寛正(1460〜1466)と取り違えています。室町時代の年号ですから当時(内藤)新宿があろうはずがありません。(以下続稿)

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 以上の記事は10月19日に用意したのだが、当時は切れ目なく「山本禾太郎「東太郎の日記」」の記事を上げていたのでそのままになっていた。

*1:以上3つの記事の「▲」はともに算用数字を向く。

*2:ルビ「はいかい・むく」。

*3:ルビ「くち/さ・おんな・かんせい//ねん・えど・しんじゅく・しゅつげん/はなし/」。