瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

稲川淳二「生き人形」(6)

 1月28日付(5)の続きで、小池壮彦の「生き人形」検証記事について。
 前回、章見出しの異同を確認しました。今度は細かい本文の異同を見て置きます。句読点や括弧の半角・全角の違いなどは取りませんでした。
②073頁2行め「壮絶な恐怖譚は80年代に」→③093頁8行め「壮絶な話は、80年代に」。
②073頁3行め「「3時にあいましょう」(TBS)、「プラスα」(大阪ABCテレビ)などであり、私は」
  →③093頁8行め「『3時にあいましょう』(TBS)、『プラスα』(大阪ABCテレビ)など。私は」
 ※二重鍵括弧開きは半角。以下③はテレビ番組名を二重鍵括弧で示すが拾わない。
②073頁5〜6行め「同じ/ころに」→③093頁11行め「同じ頃に」。
②073頁7行め「生き人形の怪談はすでに/」→③094頁1行め「生き人形の怪談は、すでに」。
②073頁8行め「00年発売/」→③094頁2行め「2000年発売」。
②073頁12〜13行め「しかし怪談は現実を浸食する。稲川淳二の話術/は聞く者を」
  →③094頁5〜6行め「しかし、怪談は現実を浸食する。稲川淳二の話術は、聞/く者を」。
②073頁13〜14行め「生き人形の話は/いまも」
  →③094頁6〜7行め「生き人形の話は、いま/も」。
②073頁14〜15行め「登場人物を/稲川淳二は」
  →③094頁7〜8行め「登場人物を、稲川/淳二は」。
②073頁15行め「危うい要素が話に」→③094頁8行め「危うい要素が、話に」。
②074頁10行め「この芝居は生き人形の」→③095頁7〜8行め「この芝居は、生き/人形の」。
②075頁6行め「/歩んだという。」→③096頁5〜6行め「歩ん/だ。」
②075頁6行め「「呪夢千年」。」→③096頁6行め「『呪夢千年』。」
 ※二重鍵括弧閉じは半角。②は引用文・会話文を除き芝居名はただの鍵括弧。
②075頁7行め「86年に、」→③096頁7行め「1986年に、」。
②075頁8〜9行め「死の直前まで映画の仕事に取り組んでいた/らしい。」
  →③096頁8行め「死の直前まで、映画の仕事に取り組んでいた。」
②075頁10行め「/前野博は精力的に」→③076頁9行め「前野博は、精力的に」
②075頁15行め〜076頁1行め「この芝居は鳥獣戯画主催の知念正文が前野の依頼で書きおろした作/品である。かつて前野の」
  →③097頁1〜2行め「この芝居は、鳥獣戯画主宰の知念正文が、前野の依頼で書きおろした作/品である。前野が」。
②076頁4〜5行め「ひとりでやるよう/になってから、きっと呪夢千年が」
  →③097頁4行め「1人でやるようになってから、きっと『呪夢千年』が」。
②076頁8行め「呪夢千年って/」→③097頁7行め「『呪夢千年』って」。
②077頁4行め「人形にひとり」→③098頁2行め「人形に1人」。
②078頁8行め「呪夢千年をやって」→③099頁9行め「『呪夢千年』をやって」。
②078頁11行め「 前野博は劇団プークを辞めてフリーになった63年に、」
  →③099頁12行め「 前野博は、劇団プークを辞めてフリーになった1963年に、」。
②078頁14行め「頼りに小林次郎を」→③100頁3行め「頼りに、小林次郎を」。
②079頁3行め「それは前野博の」→③100頁6行め「それは、前野博の」。
②079頁9行め「/パンフレットには作家の」→③100頁9行め「/パンフレットには、作家の」
②079頁12〜13行め「、「真説 呪夢千年―少女人形伝説」(80年)と」
  →③100頁10〜11行め「、『真説/呪夢千年―少女人形伝説』(80年)と」。
②080頁3〜4行め「しかし前野/は」→③101頁2行め「しかし、前野は」。
②080頁15行め「考えていない。」→③101頁12行め「考えてはいない。」。
②081頁1行め「私も一度、」→③102頁1行め「私も1度、」。
②081頁5行め「ください』っていうんです。」→③102頁5行め「ください』ていうんです。」。
②081頁9行め「また前野博が」→③102頁9行め「また、前野博が」。
②081頁11行め「映画「西遊記」の」→③102頁11行め「映画『西遊記』の」。
②081頁12行め「生前最後の写真(P84参照)がある。」
  →③102頁11〜12行め「生前最後/の写真がある。」
 ※この写真は③には掲載されていない。②のキャプションは1月27日付(4)に引用した。
②081頁12〜13行め「とり憑かれていたら映画の仕事などは/できないだろう。そもそも前野は人形に」
  →③102頁12〜13行め「とり憑かれていたら、映画の仕事などはできないだろう。そもそも/前野は、人形に」。
②081頁15行め「若いころなんかは」→③104頁1行め「若い頃なんかは」。
②081頁16行め「緞帳」→③104頁2行め、ルビ「どんちょう」。
②08210行め「 少女人形の行方はやはり」→③094頁12行め「 少女人形の行方は、やはり」。
②082頁11〜12行め「稀ではないらし/い。「呪夢千年」の」
  →③095頁1〜2行め「稀ではないらしい。/『呪夢千年』の」。
 ※は段落を改めている。
②083頁10〜11行め「……/呪夢千年のときは、」
  →③105頁14行め〜106頁1行め「……『呪夢/千年』のときは、」。
②084頁2〜3行め「前野博亡き後の少女人形に果た/して」
  →③106頁6〜7行め「前野博亡き後の少女人形に、/果たして」。
②084頁6〜7行め「一石を投じた可能性すら夢想する。95年に小林次郎が日本人形/劇人協会の」
  →③106頁9〜10行め「一石を投じたのではないかと想像する。1995年に/小林次郎が「日本人形劇人協会」の」。
②084頁11行め「(「日本人形劇人」57号より引用)」→③106頁13〜14行め「(「日本人/形劇人」57号)」。
②084頁12行め、21字下げで黒の三日月のマーク→③106頁14行めと107頁1行めの間に空白なし。
②084頁13行め「ふりかえって「一生懸命すぎた」、「がんばりすぎた」と」
  →③107頁1行め「ふりかえって、「一生懸命すぎた」「がんばりすぎた」と」。
②084頁17行め「そのひとりである稲川淳二は、現在(本稿執筆時)夏場を前にした/」
  →③107頁5行め「その1人である稲川淳二は、現在(2006年の本稿執筆時)夏場を前にした」
②085頁4行め、本文の最後の行、下詰めで「(文中敬称略)」→③107頁13行め、なし。
 ②085頁左側に黒地で別枠になっている「異才の人形師/前野博の軌跡」については、1月26日付(3)でも触れました。ここのみ文字は横組みで白抜き、まず大きく明朝体の見出し2行、2行めは太字。ついで左に写真、右に「年 譜」、下半分には「人 形 公 演 一 覧」がある。
 ③108頁は楷書体横組みで、表が2つあって上が「前野博年譜」下が「前野博人形公演一覧」形式は異なるが記載内容は②に同じ。
 すなわち、表記の違い以外にも細かく手を入れていますが、大幅な書き換えはありません。(以下続稿)