瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

横溝正史『金田一耕助の冒険』(2)

 前回、6月9日付(1)で問題にした横溝正史出演シーンについて、監督の大林宣彦の記述を見た。
 それから、前回未見であった角川文庫19611『角川映画 1976-1986[増補版]を見た。そこで文庫版から問題の記述を改めて抜いて置こう。115〜150頁「第四章 『復活の日』へ――一九七九年から八〇年」の、126頁13行め〜131頁13行め「角川春樹大林宣彦との友情の始まり」の、129頁13〜16行めで単行本(110頁9〜12行め)と同文である。

 それを象徴するのが、本人が演じた角川春樹横溝正史を訪ねるシーンだ。角川が/「今月の印税です」とジュラルミンのトランクに入った札束を見せる。横溝が手にして/パラパラとすると、上の一枚だけが本物の札でそれ以外は白いので「中身が薄いです/な」と言って、「私は、こんな映画にだけは出たくなかった」とつぶやく。


 しかし「印税」が「本物の札」でなかったら冗談では済まないので、「原作料」だから「中身が薄い」と云うギャグになるのである。ここは単行本・文庫版とも今後の増刷の際に訂正すべきではないか。
 それはともかく、大林氏はいろいろな機会に書いたり喋ったりしているので、この映画に関する発言も今回取り上げる本に限らないであろうが、ひとまづスタンダードな典拠として紹介して置こう。
大林宣彦『ぼくの映画人生』2008年10月20日初版第一刷発行・定価1700円・実業之日本社・279頁・四六判上製本

ぼくの映画人生

ぼくの映画人生

 271頁〔著者紹介〕の最下部29〜30行めに、

本書の第一章〜第三章は、小社刊の大林宣彦著『仕事――発見シリーズ㉖ 映画/監督』を大幅に加筆修正したものです。

とあって、この本のことは266〜270頁、「2008年9月2日」付の大林宣彦「“あとがき”は蛇足でしょうが、書きたいことは有ります。」に、266頁10行め〜267頁2行め、

 事の起りは1992年に同社から刊行された『仕事発見シリーズ』の一冊である/『映画監督』という本。ぼくが54歳で、映画で言えば《ふたり》を作った頃。つまり/ぼくはまだ日本映画製作現場の中心に居て、こうした若い人向けの就職案内役にも適/している年齢であるという判断だったのだろう。それが今年、ぼくが七十歳になった/所で再刊ということになった。‥‥

と見えている。そこでこれも借りて来た。
・仕事――発見シリーズ㉖『映画監督』1992年10月20日初版第1刷・1997年12月1日初版第2刷・定価1000円・実業之日本社・230頁・B6判並製本

映画監督 (仕事 発見シリーズ)

映画監督 (仕事 発見シリーズ)

 両者の詳しい比較は別にすることにして、まづこの映画の記述のある場所を指摘して置こう。
 『映画監督』113〜190頁「第三章 ぼくの映画づくり――尾道三部作を中心に」の114〜129頁「角川映画との出会い」の後半、123頁11行め以下が「『金田一耕助の冒険ねらわれた学園』」である(前半にはこのような見出しはない)。
 『ぼくの映画人生』では115〜180頁「第三章 ぼくの映画づくり――最初の「尾道三部作」を中心に」の116〜129頁「角川映画との出会い」の後半、124頁7行め以下が「『金田一耕助の冒険ねらわれた学園』」である(やはり前半にはこのような見出しはない)。
 横溝氏と角川氏の出演シーンについては『映画監督』124頁10行め〜125頁6行め(改行位置「|」)『ぼくの映画人生』125頁4〜14行め(改行位置「/」)にあって、表記の異同があるのみである。

金田一耕助の冒険』は、最後の最後の金田一耕助ものという大パロディー映画でした。|当/時の角川映画は大作だけれども、内容がない、観客動員はするけれども、観客の信用を|なく/すというのが世間的な評価でした。この映画の中で角川さん自身が原作者の横溝正史|さんの/ところへ、トランクいっぱいお金を詰めて原作料を払いにいくというシーンがあり|ます。角/川さんが横溝さんに「先生、原作料です」と、大きなトランクをわたす*1。あける|と、札束がい/っぱい入っている。その札束を、ポーンと横溝さんが取り上げると、映画の|小道具の札束で、/表と裏は本物ですが、中は真っ白。それを横溝さんが、「中身が薄いで|すね」と言うんです。/これが最大のパロディーです。
 こういうシーンをつくることについて周りは非常に心配しましたが、角川さんは「ぼく|は、/角川映画がそう言われているんだから、やっぱり自己批評することがパロディーでは|いちば/ん大事だ」と言って、おもしろがって、そのシーンに出演してくれました。


 流石に監督だけあって、この際不要である「印税」を省いて「原作料」のみに絞って纏めている。但し細部は違っていて、トランクは開けた状態で角川氏から横溝氏に差し出されたのだし、「ポーンと‥‥取り上げる」とは表現として変、実際には「中身は薄いですな」と言いながら「映画の小道具の札束」を「ポーンと」トランクに投げるのである。(以下続稿)

*1:『ぼくの映画人生』は「渡す」。