昨日の続き。
秋田文庫版11頁(頁付なし)1コマめ、上部に長方形の枠があって横組みで「第1章 クネッ! *1」とあるのだが、第2章以下は見当たらない。連載時には第2章以下の章立てもあったのか、途中で章立てを止めたのに単行本に纏める際に「第1章」を消し忘れてしまったのか。
前回、時事ネタは殆どないとしたが、登場人物たちと同世代の読者から見るといろいろあるのかも知れない。私が気付いたもう1点は、――中間考査の最終日に紅子・大野久美・蘇我要と出掛けたぜんざい屋で食べ過ぎてしまい、翌日学校を休んだ小山金四郎を、蘇我要が自宅に見舞う場面、120頁6コマめ〜127頁1コマめ、「物見高いところ」が「そっくりな」金四郎の姉たちが入れ替わり立ち替わり弟のところに来た同級生を見に現れるのだが、まず玄関に出て来たのが「体育大で陸上の選手」の「千冬姉さん」、次にお茶(紅茶か)を持って「お花とお茶の先生」の「千春姉さん」が和服で、そして「おしゃべり」の「千夏姉さん」と「恥ずかしがりや」の「千秋姉さん」が連れ立って、ケーキとおせんべいを持って現れる。「千夏姉さんはテレビ局につとめてるし千秋姉さんは短大の英文科」で見た目も性格も「テンデバラバラ」なのだけれども、124頁7コマめ〜125頁2コマめ、
蘇我要:「ずいぶんいるんだね 一番上の姉さんとはいくつちがうの」*2
金四郎:「うん…/みんな20歳なんだよ」*3
蘇我要:「みんな!?」/
金四郎:「うん 4つ子なの」*4/
蘇我要:「4つ子!? あれだけちがって4つ子なの!! 」*5/
と驚かされることになるのだが、短大生というから満20歳になったばかり、昭和31年(1956)4月から5月の間に生まれたことになる。それはともかくこの「4つ子」と云うのは、昭和51年(1976)1月31日に鹿児島で生まれた山下家の五つ子からの連想であろう。私は興味もなかったのであまり記憶していないが、しばらく「五つ子ちゃん」としてテレビでも取り上げられていたと思う。
なお、本作に引用される文学作品については、一ファンの私設サイト「山岸凉子のカテゴライズの夜は更けて…」の「山岸凉子文学館」に一通り指摘されている。さらにいくつかのブログに、個別にもっと突っ込んだ指摘もある。(以下続稿)