瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田辺貞之助『うろか船』(7)

 昨日の続きで、8章め「映画について」について。
 210頁、1行めに2字下げで大きく明朝体で「映画について」とあり、3行分空けて、2行取り4字下げでやや大きく明朝体で1節めの題「訳者と映画」がある。
 冒頭、210頁3〜10行めを眺めて見よう。

女優ナナ』という映画が来るから、それまでにゾラの『ナナ』を訳してもらいたい、と、某月/某日、はっきりした日附はもう忘れてしまったが、岩波文庫の編集氏から緊急の依頼に接した。/ぼくはいままで何冊かの翻訳を出しているが、日限をきっての仕事はあまりしたことがなかった/ので、大いにあわてた、しかし、ゾラのものでは『大地』や『居酒屋』を出させてもらった義理/合からいっても、いやというわけにはいかない。そこで、相棒の河内清君と急遽連絡をとり、く/つわをならべて馬車馬的な仕事にかかることにした。が、河内君は静岡大学で図書館長の要職に/あり、公務多端で、なかなか筆が進まない。それを速達便で何度か叱咤べんれい、ようやく上巻/だけ映画の襲来に間にあわせたが、その映画は……ガッカリだった。


 フランスのChristian-Jaque(1904.9.4〜1994.7.8)監督の映画“Nana”の日本公開は昭和30年(1955)6月18日。VHSでは発売されたが、DVDは出ていない。河内清(1907.4.20〜1991.2.11)は第一高等学校・東京帝国大学文学部仏文科の、田辺氏の後輩に当たる。『大地』や『居酒屋』も河内氏との共訳である。

大地 (上) (岩波文庫)

大地 (上) (岩波文庫)

大地 (中) (岩波文庫)

大地 (中) (岩波文庫)

大地 (下) (岩波文庫)

大地 (下) (岩波文庫)

 田辺氏の批判の眼目は原作との齟齬で、「翻訳した本」は「隅々まで知りぬいている女」みたいなものだから「映画だけの純粋な鑑賞者としてみる人よりも点がからくなる」としつつ、「人物の見当ちがい」や「原作が暗示する時代の風潮が全然出ていないこと」を問題にする。前者に関しては、日本の映画も引き合いに出されている。211頁12行め〜212頁6行め、

 名作の映画化がむずかしいのは、こういう風に、原作の人物が与える印象とスクリーン上の俳/優の与える印象とのくいちがいということが、第一になるのではあるまいか。例えば『雨月物語』/にしても、あれはぼくがかつてS大学で国語の格子をしていたころのレペルトワールで、六、七/年も教えたので、よく分っているつもりだが、あの蛇に惚れられた青年は紀の国三輪が崎の網元/の二男坊で「ひととなり優しく、常にみやびたる事をのみ好み、わたらひ心なかりけり」と原書【211】にあるところから見れば、定めし美男子であったろう。それに、この小説は中国の『西湖佳話』/の一篇『雷塔怪墳』を翻訳し、それに作者の意匠を加えたものであろうと見られているところか/ら推しても、美女に配するに美男をもってしなければ、話の成立があぶなくなる。ところが、映/画では『蛇性の婬』と『浅茅が宿』という全くちがったカテゴリーの話をつなげた関係上、肝心/の二枚目を滋賀の田舎のスエモノづくりにし、森雅之扮するところのでぶで貧乏たらしく、破れ/草履の埃を立てる中年男にした。一切のっけからぶちこわしだ。


 溝口健二監督『雨月物語』は昭和28年(1953)3月26日公開。

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 そして「今度上映されるゾラ原作の『居酒屋』の映画についても」同様のことが「いえる」として、「主役」については「映画も」原作「そのままの女優を出している」のだが、前夫ランチエと、ランチエに逃げられてから結婚するクーポーとが、それぞれ原作から「想像」される人物像と違っている上に「背格好から太り具合からおちついた顔付まで」似た俳優が当てられているために「二人の区別がつきかねることが多く、演技から受ける印象がちぐはぐだ」と批判している。
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 フランスのRené Clément(1913.3.18〜1996.3.17)監督の映画“Gervaise”の日本公開は昭和31年(1956)10月18日。
 そして、213頁4〜6行め、

 俳優の声望が役の割りふりを決定させることが多いのは、『雨月物語』の森雅之の場合も同じ/で、商業政策上いちがいに文句はいえないが、話に合った人間をもってきてくれないと、ぼくの/ような素人の現物人は戸惑いをする。

とあるのだが、理想的な配役で撮ることは現在いよいよ難しくなっているのかも知れないし、むしろ、当時もそれが出来なかったからこそ意図して原作からの跳躍を試みたのかも知れない。
 さらに映画『居酒屋』が「どうも蛇足らしい」としか思えない「原書にないストライキとその裁判の場面」などの無駄な「場面をよしたら」、映画では「抹殺」されてしまった「ゾラ一流の根本的テーマ」を含む、主人公が「追いこまれて行く悲惨な環境の描写がもっとくわしくできたのではあるまいか」と提起する。
 そう云えば、実在の人物をモデル(モティーフ)にしながら、変な脚色を加えておかしなことになっている朝の連続テレビ小説が続いているが、216頁8〜15行め、

 もちろん『ナナ』にしろ『居酒屋』にしろ、あれだけの大作を二時間やそこらのフィルムにお/さめることは、自体が無理な話である。だから、時間の制約ということは充分考慮にいれて見物/しなければならないが、それだけに、同じ題名をつける以上は、原作者が言おうとすることや原/作の持ち味というか、とにかく原作を生かしている根本精神は忠実に守ってもらわなければなら/ないといいたいのである。なにがゆえに、どういう意図のもとにその作が書かれたかということ/は、へなちょこなフランス語の知識で読むわれわれに分っている以上に、脚色者には十分に分っ/ているはずなのに、それがうまくいかないというのはどうしたわけなのだろう。ぼくはつねづね/それを不思議に思っている。

と田辺氏も述べているように、モデルがいてそのことを明らかにして置きながら、その根本精神を守っていないのは如何なものか。朝の連続テレビ小説は1回は15分と短いが回数があるから短く「おさめる」のではなく、引き延ばしていると云った方が良いのであるが、――何だかおかしいと思って調べてみると、脚本家が原作やモデルに無関係の、先行する映像作品でウケが良かった(どこかで見たような)話を挿入して、しかしそれがすぐに気付くことが出来る程度の、繋がりの悪さなのである。それはともかく、映画『居酒屋』の原作“L'assommoir ”は居酒屋の店名で、映画の原題“Gervaise”は後述するように主役の女性の名前だから、厳密に云うと同じ題名ではない。
 216頁16行め〜217頁4行め、

 以前見た映画では、古いものだが、『情婦マノン』にしても、抒情小説の草分けとして古今に【216】令名をはせた『マノン・レスコオ』の近代的な解釈があの程度では、作者のラベ・プレヴォも定/めし地下で泣いているだろう。ぼくはあまり映画を見る暇がないから、たまたま眼にふれたわず/かな映画から判断するわけで、大方の憫笑を買うことと思うが、どうも近頃のフランス映画には/抒情が欠けているのではあるまいか。

 フランスのHenri-Georges Clouzot(1907.11.20〜1977.1.12)監督の映画“Manon”の日本公開は昭和25年(1950)9月1日。

情婦マノン/痴人の愛 [DVD]

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 末尾、217頁10行めに小さく「(岩波『文庫』)*1」とある。
 217頁11行め、2節め「ジェルヴェーズの系譜」やや大きく4字下げ3行取り。末尾、221頁10行めに小さく「(東和商事、プログラム)」とある。
1950年代「映画プログラム 居酒屋」ルネ・クレマン監督:マリア・シェル

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 3種のパンフレットの先後関係が分からないが、1番めに貼付したパンフレットに「TOWA」とある。
 これは仏文学者の立場から、映画の観客に対して原作を解説したものである。冒頭、217頁12行め〜218頁7行め、

 映画『居酒屋』は前世紀後半にフランスばかりでなく全ヨーロッパの文壇を震撼させた一種の/革命児エミール・ゾラの同名の小説(一八七七年出版)の映画化である。この映画の原題は『ジ/ェルヴェーズ』となっている。つまり上下二巻にわたる厖大なゾラの原作をその女主人公ジェル【217】ヴェーズの生涯にしぼったわけである。まじめで、勝気で、身を粉にくだいて働くことをいとわ/ず、一時は無一物から立派な洗濯屋の店をもつまでにいたりながら、懶惰無頼な二人の男の食い/物にされて急速におちぶれて行き、ついには町行く人の袖をひくまでにいたって、場末の屋根裏/部屋で餓死する女ジェルヴェーズ! フランス文学は哀れな女を数知れず残しているが、これほ/ど哀れな女はふたたび見られないであろう。
 では、このジェルヴェーズはどんな素性の女であろうか? 厖大な『ルーゴン・マッカール叢/書』*2をあさって、彼女の系譜をのぞいて見よう。‥‥


 そしてジェルヴェーズの祖母から始めて、その子供たち*3に至る、文字通り「系譜」を辿って行く。
 221頁11行め、3節め「『奥様ご用心』の人間喜劇」やや大きく4字下げ3行取り。末尾、227頁15行めに出典の表示はない。

奥様ご用心 [VHS]

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奥様ご用心 [DVD]

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 フランスのJulien Duvivier(1896.10.3〜1967.10.30)監督の映画“Pot-Bouille”の日本公開は昭和33年(1958)12月26日*4
 冒頭の段落(221頁12行め〜222頁4行め)を読めば、田辺氏がこの作品を取り上げた理由が分かる。

『奥様ご用心』は十九世紀のフランス文豪エミール・ゾラが『ルーゴン・マッカール叢書』とい/う総題で発表した厖大な小説集の第十巻『ごった煮』(一八八二)の映画化であります。ゾラは/これよりさき『居酒屋』によって、パリの下町とそこにうごめく下層労働者をえがき、次の『ナ【221】ナ』によって、女優ナナの肉体を目ざしてあつまるたいはいした貴族を中心に、当時の売笑婦の/生態をうつしました。このふたつはすでに映画が日本への来ましたから、皆さまもよくご存じで/しよう*5。ゾラはこの二作のつぎに、当然の順序として、パリの中産階級の腐敗した風俗をあばく/ために『ごった煮』を出しました。


 そして原作の題の由来を説明して、222頁13行め〜223頁3行めに、映画の邦題について述べる。

 この映画はこの春あたりからいろいろの映画雑誌で解説されてきましたが、題名がまことにま/ちまちで、『家常茶飯』、『日常茶飯』、『ごった煮』などいろいろでした*6。そして、最後に『奥様/ご用心』となったのは、いま申しあげたようなアパルトマンの紳士淑女のあいだの複雑きわまり/まい醜関係のなかから、主人公オクターヴ・ムーレ(ジェラール・フィリップ)をぬきだし、オ【222】クターヴが若さと美貌と才気にまかして、はげしいラヴ・ハンティングをするところに焦点*7しぼ/ったからでしょう。だが、原作者ゾラの意図したところはそれだけでなく、アパルトマン全体を/無言の震動でつつんでいる、すさまじい愛欲の渦巻の活写にあったことをご承知ください。


 原作小説の題も“Pot-Bouille”で、映画はフランスでは1957年10月18日公開。

ごった煮 (1958年) (角川文庫)

ごった煮 (1958年) (角川文庫)

 この作品は田辺氏が翻訳している(角川文庫・2冊)が、文中に邦訳について触れるところはない。(以下続稿)

*1:二重鍵括弧閉じは半角。

*2:二重鍵括弧閉じ半角。段落末に余裕があるので校正時の加筆により詰まったか。

*3:ランチエとの間に3男、クーポーとの間に1女(ナナ)。

*4:準備段階では表紙の異なる昭和33年(1958)の映画パンフレットをもう2種類貼付していたが、投稿するに表示されなくなったので削除した。

*5:原文のママ。

*6:読点の前後の二重鍵括弧閉じ・開きは半角。

*7:ここに「を」とあるべきだが脱字。