瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

Alfred Schnittke “Adagio”(2)

 3月22日付(1)以降に気付いたもの。やはり学生の演奏である。




 他の曲との抱合せ、同じ集団の別の発表会での演奏、同じ発表会での別カメラによる撮影なども含むが、とにかく拾えるだけ拾って置いた*1
 やはり前回触れたTV映画「死せる魂」は、YouTubeのモスフィルムの公式チャンネルで視聴出来る。





 作業をしながら“Dead Souls”の音を聞き続けた。しかし、ロシア語が分からぬ上に、原作小説も読む余裕がないので、以下はこの曲の流れる場面と、その前後を見た印象をメモしたまでである。夏までには原作小説の翻訳を読んで、このTVドラマをもう1度見直すつもりである。
【第1話】①46:24〜48:32、地主のマニーロフが美しい夫人マニロワと庭園の池に面した東屋に並んで座り、接吻するまで。ここで狂言回しとしてたびたび登場する作者ゴーゴリが執筆しながら突っ込みを入れている(らしい)がここでもバックにこの曲が微かに流れ(48:36〜50:13)、そのまま接吻のアップになって音量が大きくなり、主人公の詐欺師・チーチコフをマニーロフが歓迎する場面までこの曲が流れる(50:13〜48)。53:22〜54:33、マニーロフに室内に招じられ、窓際で刺繍をする夫人に見とれるチーチコフ、マニーロフに夫人を紹介されて挨拶を交わすまで。
【第2話】①06:43〜7:23、マニーロフと口論になったところに夫人が入って来る。チーチコフは夫人の手を取って接吻し、弁解を始めるところでこの曲が流れる。夫人のアップもあってピアノで明瞭に旋律が奏でられる。10:55〜11:31、東屋に並んで座るマニーロフ夫妻、木管楽器で明瞭にこの旋律が流れ、夫人のアップ。12:52〜13:16、馬車に乗ったチーチコフが御者と話す場面を挟んで②の続き、曲も続きから。13:43〜14:05、③に同じパターン、雨が降り出して池の水面に幾つもの波紋を点ずる。曲はここまで(次いで夕立に襲われる馬車の場面に切り替わる)。
【第4話】①11:43〜12:23、マニーロフが再登場する。34:02〜35:05、貴婦人たちがチーチコフの噂をする場面、マニーロフ夫人はいない。
 Rozhdestvensky編曲版(の某動画サイトの動画)では“At the Manilovs”と云う曲名になっていて、確かにほぼマニーロフの家で流れるのだが、チーチコフが好意を抱いたマニーロフ夫人のテーマと云うべきである、曲調からしても。
 かつ、ここから取り出して1曲に仕立てたのではなく、既存のromanticな曲をここに活用したのだと思われるのである。
 役者について、日本語表記に自信がないのでキリル文字のアルファベット転写にて紹介して置く。
 主人公Chichikovを演ずるのはAleksandr Kalyagin(1942.5.25生)。
 Manilovを演ずるのはYuri Bogatyryov(1947.3.2〜1989.2.2)。Manilova(Manilovの妻)を演ずるのはLarisa Udovichenko(1955.4.29生)。
 作者を演ずるのはAleksandr Trofimov(1952.3.18生)。
 主人公はチビでデブで髪も薄い、風采の上がらない男だが、帽子を被っていると藤山寛美みたいに見えることもあって(眼鏡を外した角野卓造と云った方が近いか)、魅力がないでもない。
 それはともかく、ロシア語がまるで分からない私には、第5話の7分頃に「ニカクダ」「ニッカクだ」と連呼されるところで、どうしても「四角ぅい仁鶴が、まぁるく収めまっせ」が思い浮かんでしまう。――私の母は「テクノロジー」と言えない人で「てくろのじー」と言ってしまうのである。恐らく純粋な日本語話者として「のろ」を、先端技術を指す「テクノロジー」のような言葉に含ませることに抵抗があって、無意識に「のろ」を排除した結果が「てくろのじー」なのだと思う。どうしても、どこまでも日本語に惹き付けて解釈してしまうのだ。だから「空耳アワー」が続いているんだろうけれども。(以下続稿)

*1:この他に老人たちの合奏、演奏者不明のプロの演奏らしきものがある。