高2の頃、私はクラスの連中と折り合いが悪くて、ほぼ孤立していた*1。
私は偏った人間で、好きなことはどこまでも突き詰めるが、嫌いなことは全くやらない。だから定期考査の最高点と最低点が100点差と云う、通常あり得ないようなこともしでかした。少しでも点を取ろうなどと思わないのである。まるで相手にならない、いや、こっちからすれば「しない」だ。
人についても同じで、向こうが相手にしないのであれば、こっちも同じくしないまでの話である。かつ、体調も悪かった。冬の間中、私の鼻腔は出血して瘡蓋が出来続け、鼻をかむのでは追いつかないので、休み時間ごとに洗面所に行って鼻をすすって口から吐き出していた。緑がかった黄色い痰に血が混じる。酷く咳き込むこともしばしばで、同級生は「死ぬん違う?」と眉を顰めていた。
しかし、その方が都合が良かった。
100点の方が世界史で、0点の方は数学だった。世界史の教師とは、別に話すこともなかった。勝手に図書室で、そういう本を借りたり、駅前のK書店で岩波文庫を買ったりして*2、休み時間、誰とも話さないから、随分読書が捗った。
・松平千秋 訳『ヘロドトス 歴史』
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一方、0点だったのは数学だが、ご丁寧にも年度末、数学の教師に私は数学を勉強する意欲が全く湧きません、などという手記をノートに記して提出したりしていたのだから、まぁ愚かだった。ところがいよいよ追試と云う段になったとき(恐らく数学2科目と英語が引っ掛かっていたはずなのだが“考慮”してもらって数学1科目に減らしてもらったのだと思う)それまで交流のなかった同級生が救いの手を差し伸べて、勉強を見てくれたのである。そのことは2015年8月10日付「吉田秋生『櫻の園』(2)」にも書いたが、実は前段階があって、――立候補もしていないのに後期の学級委員に推薦され、推薦したのが4月2日付「山岳部の思ひ出(5)」に触れた2学期から山岳部に来なくなった野郎なのだが、彼らの選挙運動(?)が実って見事当選してしまったのである。なんでそんなことを思い付いたのか、クラスを纏めるような器ではないことは明らかな訳で、私をクラスに融け込ませようなどと云う温情から出た訳ではないことも明らかだったから、私は引き受けないことにしたのである。私がやると言わない以上、いくら手続きを踏んで当選したのだとしても無効である。――そういう建前で、学級委員が掛けることになっている号令も「××、お前やろ」と後ろの方でぼそぼそ言われようが断固拒否し、そんなに掛けたいのならお前がやれば良い、と云う気持ちで、しばらくを過ごしたのである。指導力のない担任はおろおろするばかりで「××君が、当選したんだから、君が号令掛けないと」とか言っている。貴方から見ても文化祭にも体育祭にも不参加の私が適任でないこと、嫌がらせとして推薦したことくらい分かるだろうに、と憤慨していよいよ私は態度を硬化させるうち、見かねた吹奏楽部員のI君が引き受けてくれたのである。I君には悪いとは思ったが、まぁそもそもがおかしな話だったので別に私が恩義に感じる必要はない、と、この一件でさらに私のこのクラスに対する嫌悪は増すばかりであった。そこに冬が来て、私は酷く咳き込んだり血の混じった痰を休み時間ごとに切りに行くような按配になったのである。もともと鼻と咽喉が悪いのだが高1と高3ではここまで酷くはなかったから多分に心因性で、しかし弱った訳ではなく放課後は相変わらず歩き回っていて、むしろ力は漲っていたのである。それはともかく、数学がこんな成績で高3でも同じコースと云う訳にも行かぬので、私だけコース変更してこのクラスを出ることになっていた。それにつけて同級生の一部に、学級委員の一件など愉快とは云えない仕打ちをした上でこのまま追い出すような按配になってしまうことについて、少し引け目のようなものを感じる向きがあったらしい。それはクラスがどうこうと云うより、文化祭にも体育祭にも参加しないような私の頑迷固陋が招いた結果と云うべきだから、そんなことを気にしなくたって良いのだが、そこで私が怖い話を聞き集めていると云うことを知って、修学旅行の余興として話してくれないか、との提案があったのである。意外な気がしたが私は頼まれると張り切ってしまう性質なので(そして途中で失速してぐだぐだに終わってしまうことが多い)渋りもせずに引き受けて、小学5年生のときに担任から聞いた、30分くらいは掛かる話で、小学6年生の修学旅行でも話して大いに受けた話を、修学旅行の最後の晩に語って聞かせることになったのである*4。
結果は大成功で、私のことを敬して遠ざけるような感じだった同級生たちの雰囲気がこれでかなりほぐれたのである。――当時はさほどにも思わなかったが、完全に縁の切れてしまった今になって見ると、この心遣いは涙が出るほど有難い。そして、残りの高2の僅かな時間、高3もこのクラスのままでも良いんじゃないか、と云う気にならなくもなかったが、学力的に厳しいのでそのまま数学のないコースに変更して、しかし英語の勉強は相変わらずしなかったから、センター試験(第1回)で国語との点差が103点、100点満点で98点の世界史よりも10点低いと云う衝撃的な点を取って、浪人することと相成ったのである。(以下続稿)
*1:この頃のことは、2016年4月2日付「万城目学『鹿男あをによし』(2)」及び3月30日付「山岳部の思ひ出(2)」に書いたことがある。【5月5日追記】この記事は4月4日付「山岳部の思ひ出(7)」に予告してあった。【9月21日追記】次の段落の「差」が何故か落ちていたので補った。
*2:この辺りのことは2016年7月18日付「小林信彦『回想の江戸川乱歩』(12)」の後半に回想した。
*3:2016年6月2日付「Giuseppe Tomasi Di Lampedusa “Il Gattopardo”(1)」には概説書を読んだ、と書いているが、もっと本格的に、全く点数に繋がらない本を読み漁っていたのだった。
*4:今、同じ話を20分くらいで済ませてしまう。合理的な考えにまみれて、かなり理屈に合わないところのある話をそのまま話せなくなってしまったのである。