瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

織田作之助『夫婦善哉』の文庫本(6)

新潮文庫10589『夫婦善哉 決定版』(4)
 7月25日付(5)の続きで、本体について新潮文庫6557『夫婦善哉』四十八刷改版(以下「四十八刷改版」と略す)とこの『決定版』を比較しつつメモして置く。
 頁付があるのは「解説」まで。
 次の頁の、明朝体縦組みで中央に小さく3行の(新潮社編集部)の「差別的表現」についての断り書きは同文だけれども、3行め「鑑み」に四十八刷改版はルビ「かんが」が振られていたが、決定版にはない。
 四十八刷改版はその裏から目録。
 決定版にはその次の頁、下部中央に明朝体縦組みで5行の底本情報がある(行頭の二重鍵括弧開きは半角)。

この作品は昭和二十五年一月に刊行された新潮文庫/『夫婦善哉』を底本とし、そこに、『夫婦善哉 完全/版』(雄松堂出版刊)所収の「続夫婦善哉」を加えた/ものである。「續夫婦善哉」の原稿は、鹿児島県薩摩/川内市「川内まごころ文学館」に所蔵されている。


 これは前の頁と纏めても良かったのではないか。――それから「昭和二十五年一月に刊行された新潮文庫夫婦善哉』を底本とし」とあることが気になった。四十一刷改版及び四十八刷改版は「新潮文庫6557」である。7月2日付(1)に見たように「①昭和二十五年一月二十五日発行」であるから、2012年2月28日付「夏目漱石『坊っちゃん』の文庫本(02)」に取り上げた新潮文庫92『坊っちゃん』の「①昭和二十五年一月三十一日発行」の数日前である。当時の新潮文庫がどのくらいのペースで新刊を出していたのか、これまでに当ブログで取り上げた、新潮文庫の番号が2桁までのものを挙げると、新潮文庫1『雪国』が2014年12月1日付「川端康成『雪国』の文庫本(1)」で見たように「①昭和二十二年七月十六日発行」、2011年3月16日付「森鴎外『雁』の文庫本(3)」で見た新潮文庫46『雁』が「①昭和二十三年十二月五日発行」、2013年6月6日付「森鴎外『青年』の文庫本(1)」で見た新潮文庫49『青年』が「①昭和二十三年十二月十五日発行」、2013年3月16日付「國木田獨歩『武藏野』の文庫本(1)」で見た新潮文庫60『武蔵野』が「①昭和二十四年五月二十日発行」、2012年2月29日付「森鴎外『ヰタ・セクスアリス』の文庫本(1)」で見た新潮文庫83『ヰタ・セクスアリス』が「①昭和二十四年十一月三十日発行」、2014年10月7日付「岡本かの子『老妓抄』の文庫本(1)」で見た新潮文庫97『老妓抄』が「①昭和二十五年四月三十日発行」、と云った按配で、毎月数冊のペースで、毎月の決まった発行日に纏めて刊行するのではなかったことが察せられる*1。なお、新潮文庫の2桁台ではもう1冊、新潮文庫99『明暗』を見ているが、2012年7月14日付「夏目漱石『明暗』の文庫本(5)」に述べたように現行の1冊本は、当初2分冊で刊行されたものを1冊にしたもので、恐らく「上」巻の番号を引き継いだのであるが1冊本の「①昭和六十二年六月二十五日発行」以前の発行日を表示しない*2
 しかるに新潮文庫6557『夫婦善哉』は、決定版のこの断り書きからすると「昭和二十五年一月に刊行された」そのままの内容であるらしいのに(その後青山光二「解説」の追加などがあるにしても)番号を引き継いでいないのである。新潮文庫の6000番台は、他に2013年2月4日付「水村美苗『私小説』(1)」に取り上げた「平成十年十月一日発行」の新潮文庫6169『私小説 from left to right』、2014年4月7日付「大野晋の新潮文庫(1)」に取り上げた「平成十三年五月一日発行」の新潮文庫6664『日本人の神』、「平成十四年八月一日発行」の新潮文庫6890『日本語の水脈 日本語の年輪 第二部』を見ているが、新潮文庫の「6557」と云う番号は、まさに「平成十二年九月二十五日四十一刷改版」に当たっていることになる。何故番号を変えたのだろうか。それ以前の版に比して何か大きな改変があったのであろうか。
 以上縷々述べた不審点は、次の目録を見れば或いは誠に味気なく解決してしまうかも知れない。

新潮文庫全作品目録1914~2000

新潮文庫全作品目録1914~2000

 しかしながら疑問は疑問として書き出して、目録を見る機会に備えたいと思ったのである。(以下続稿)

*1:これらの本の初刊本を見たことはない。

*2:昭和25年(1950)刊の新潮文庫は、他に2014年3月14日付「川端康成『伊豆の踊子』(2)」に「①昭和二十五年八月二十日発行」の新潮文庫115『伊豆の踊子』を、7月9日付「Alexandre Dumas fils “La Dame aux Camélias” (1)」に「①昭和二十五年十二月四日発行」の新潮文庫129『椿姫』を取り上げた。――ここで奇怪なのは、2012年7月20日付「太宰治『斜陽』の文庫本(06)」等に取り上げた新潮文庫261『斜陽』が「①昭和二十五年十一月二十日発行」であることである。新潮文庫129『椿姫』からすると、この番号は「新潮文庫126」くらいであるべきなのだが、どこから「261」の番号が配当されることになったのであろうか。