瑣事加減

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大澤豊監督『せんせい』(4)

川村湊『銀幕のキノコ雲――映画はいかに「原子力/核」を描いてきたか 2017年4月10日第1刷発行・定価2500円・インパクト出版会・261+xxvii頁・四六判並製本

 ちょうど本作を取り上げた頃の新刊で、図書館の新刊の棚で目にして、借りて来た。
 核兵器原子力発電所について、私は他の危険なものと同じように考えていて、取り立てて何らかの発言をしようとは思っていない。最近、北朝鮮が何かしたらどうする、みたいな意見を目にするが、本当に何かしてきたらもうどうしようもないので、昔みたいに武器を手に立ち上がるわけにも行かない。東京に本当に飛んで来たら、もう逃げ隠れしても仕方がない。積極的に死にたい訳ではないが、別段何もしなくても良いと思っている。いや、私如きが何にもやりようがないだろう。
 それはともかく、私の遠縁に、広島で被爆して行方不明になった人(大叔母の夫)がいて、全く縁がない訳ではないのだが、詳しい話は覚えていない。それよりも小学生の頃の私には恐怖が先にあって、父の転勤で関東に引っ越さずにそのまま兵庫県の小学校で6年生になっていたら、修学旅行で広島に行くことになっていたが、嫌で嫌で仕方がなかった。幸い、横浜市立の小学校で日光に行くことになり、中学も奈良・京都と云う日本文化に親しむ修学旅行になって、戦跡巡りと体験談を聞くということにならなくて嬉しかった。――強制しないと接する機会のない人もいるかも知れないが、私は好まないものを訳も分からずに強制されるのが嫌いなので、それを知りたいと思ったときに自ら知れば良いと思う。そのための基礎学力(読み書き算盤)は身に付けて置いて。
 尤も、私が原子爆弾について調べるようになったのは、――年度の途中で海外に赴任することになった知人の後任として高校講師を始めたとき*1、その高校のベテラン講師で自分の主宰する塾に寝泊まりしている(週末だけ自宅に帰る)人がいて、その塾が私の家の近所だったので手伝いを頼まれたことがあった*2。中学生の担当だったのだけれども、1人だけ高校1年生の井伏鱒二『黒い雨』を読んでの夏休みレポートを手伝うことになって、初めて原爆文学を読んだ。しかしあの小説は構成が破綻していて、盗作云々は別としても名作とは云えないだろう。
 だから、俄に興味が湧いて自ら調べたのではなく、仕事として調べたのだけれども、正直、生徒が要求する以上の知識を仕入れて、そこそこのところで済ませたいと思っていた生徒の助言者としては、余り役に立たなかったのであった。
 大人になってしまうと小学生の頃に感じた恐怖感は雲散霧消して、別に怖くも何ともない。いや、何ともないと云っては嘘になる。――動ずることはない。しかし、原子爆弾を主題にした映画を積極的に見ようとはしていない*3
 だから本書に取り上げられている映画は殆ど未見である。差当り、本作に関する記述を抜いて置こう。巻末に横組み(左開き・ローマ数字の頁付)でi〜v頁「索引(映画作品)」とvi〜xxvii頁「「核/原子力」関係映画年表」があるのが便利である。
 15〜47頁「I 原水爆恐怖映画の巻」の章、21頁3行め〜24頁12行め「長崎の原爆ドーム」の節に、23頁18行め〜24頁7行め、

『せんせい』は、四歳の時に長崎で被曝した山口竹子(五十嵐めぐみ)が、小学教師となり、五島の/学校に赴任して、転校生の信明・悦子の兄妹を中心に子どもたちと心の交流を続ける“二十四の瞳"/のような感動的な教師と生徒の物語だ。だが、オートバイで通学するように活発だった竹子先生は/白血病を発病し、子どもたちの願いや祈りも虚しく、長崎の病院に入院し、三十歳そこそこで命を/失ってしまう。
 長門勇北林谷栄曾我廼家五郎八などの俳優が脇役を固め、子役たちが達者な演技を見せるの/だが、「原爆映画」の作品としては、凡庸の一語に尽きる。竹子先生が、死ぬ前に、教え子たちを稲/佐山の上に登らせ、長崎の原爆被災の話を聞かせ、原爆がいかに多くの悲劇をもたらしたかを語るが、/その語りや映像にはこれまでの「原爆映画」の紋切り型を超える、いかなる新しさもない。*4

とある。前回確認したように、「五島の学校に赴任」するのではなく、主人公と副主人公の少年「信彦」とその妹(悦子)は、「五島」の別々の小学校から同じ小学校に転任・転校して来るのである。「先生」を「オートバイで通学」と云うのも変で「通勤」だろう。なお「被曝」と云うのは、竹子先生は入市被爆者で、原子爆弾の直撃を受けた訳ではなく、その後、爆心地附近を歩いて「被曝」した訳だから「被爆」よりも「被曝」の方が適当なのであろう。
 随分辛口なように読めるが、それは「原爆映画」としての評価であって、教育映画としては、十分な評価が与えられている。(以下続稿)

*1:12月3日追記】この学校のことは10月27日付「3人のヤマンバ(1)」に少々回想した。

*2:その後まもなく、家主の都合で建て替えることになって塾が移転した際に、もう寝泊まり出来なくなってしまったのでその人は塾の経営から身を引き、私も塾の引っ越しを手伝ったのが最後で縁が切れたのだった。

*3:原民喜と大田洋子と林京子の小説は、一通り読んだ。

*4:ルビ「そがのや」。