瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

水島新司『ドカベン』(35)

鈴木則文監督『ドカベン』(25)
 これまで本作に関する記事は、8月下旬に見たときのメモを基本に、動画サイトに挙がっている特報・予告篇や断片、映画情報サイトやブログ等の記述を参考にして、さらには記憶(!)に頼って書いていたのだが、2箇月振りに再見して、やはり記憶に頼るのは危ないと思ったのである。過去の記事についても適宜訂正して、新たに気付いた点につき補足して置こう。
 久し振りに通覧して、いろいろ痺れた。原作もかなり辻褄が合っていないのだから、本作もこれで良いのではないか。――しかしながら、週刊誌連載の勢いで有無を言わさず無理を押し切ったような按配の原作に比して、1時間24分で見せる映画では無理がそのまま目立ってしまう。原作の矛盾を整理した筋立ても、却って原作の改悪のように映ってしまうのである。
 8月24日付(01)に、冒頭、朝日奈書店のシーンから始まる、と書いたが、実はその前にまづ、怒濤しぶく荒磯を写し東映の△のマークが出て来る。ただマークが出るだけではない。そこに野球の応援の音を流して女声で「フレー フレー ド カ ベ ン」と掛け声がかかると大勢で「フレフレ、ドカベン フレフレ、ドカベン」と声を掛け、直後に打撃の音がして歓声が挙がるのである。
 しかしながら、本作ではドカベン山田太郎は野球の練習をするだけで、結局試合には出場せずに終わってしまうのだから、これを聞かせるのは野球の映画だと期待して見に来た小学生たちの気持ちをさらに高めて、そして、いつ野球を始めるんだとやきもきさせて、終いに、ようやく山田が原作とはかなり違った筋立ての末に野球部に入って練習を開始したところで、10月11日付(22)に述べたように終わってしまう。全く裏切られた気分にさせられたことであろう。
 しかしながら、野球の試合の積み重ねは、毎週連続の30分のアニメ番組には合っても、1時間半の映画には合わないのじゃないだろうか。――アニメも原作と同様に、矛盾に気付きにくい*1。それでも若干設定は変えてあるようだ。さすがにアニメと原作と比較する時間的(経済的)余裕はない。(以下続稿)

*1:連続ドラマでも良さそうなものだが、やはり実写ではハードルが上がりそうである。