瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

Pierre Loti “Japoneries d'automne”(5)

・角川文庫602『秋の日本』(5)
 私は江戸時代の文藝を専攻したけれども、初めからそう決めていた訳ではなくて、2017年11月29日付「飲酒と喫煙(4)」等に述べたように、古典を江戸時代から遡って古代に達しようと思って、取っ掛かりで足踏みして進めなくなってしまったのである。そしてそのまま江戸時代を専攻するようになってから、2011年4月2日付「Henry Schliemann “La Chine et le Japon au temps présent”(03)」に挙げたように、幕末明治の頃に訪日した外国人の見聞記をよく読んだ。――私の父は関東の貧農の出で、幼少期には絣の着物を着て裸足で遊んでいた世代である。父が生まれる前年に普請した父の実家は、土間の台所で、襖を外すと庭から奥まで見通せ、夏などは開け放しにして蚊帳を釣って寝た。正月の帰省では掻巻で寝たのである。
 父は40代くらいまで、自宅でくつろぐときは着物だった。大阪で育った母(両親は広島県出身の所謂安藝門徒)も気が向くと自分で着付けをして台所に立っていたが、私はまるでそのようなことをさせてもらえなかった。
 だから父の実家での体験が私にとっては甚だ貴重で、転勤族の倅として地域の伝統と繋がる機会もなかったから、祭などで和服を着る機会もなく、馴染んだのは下駄くらいである。山小屋では沢登り用に草鞋が売られているが、私の所属した高校山岳部はそのような危険なところには立ち入らなかったから、買ったけれども使う機会がないままである。今、毎日畳の上に蒲団を敷いて寝起きしているが、それより他に、特に和風の暮らしはしていない。
 前置きが長くなったが要するに、私は幕末明治の外国人に近い視点でしか、日本の伝統を眺められない、と云うことを、これら見聞記を読んでいて思ったのである。もちろん外国人と同じ視点にはなり得ないが、外部からの視点で眺める、と云うことでは共通している。そしてそれは、転勤族の倅として、どの土地でも余所者であったこれまでの私が獲得した、と云うか獲得させられた視点に近いのであった。
 それで本書も興味深く読んだ。当時の読者にとって当り前のことが書いてない、当時の日本の小説や随筆よりもイメージし易いのである。
 さて、249〜254頁「あとがき」は1行空けで4つに分割されている。すなわち、まづ249頁2〜6行めに標題について、次に249頁7行め〜251頁12行めには作者について、特に日本との関わりについて述べ、そして251頁13行め〜253頁5行めは「本書の内容の背景をなす日本の明治十八年という年代」について「注意」し、最後に253頁6行め〜254頁9行めに翻訳について述べている。
 その3節めの最後の一文に、253頁4〜5行め「なお、周知のように、芥川龍之介は本書の「江戸の舞踏会」を粉本にし/て小説「舞踏会」を書いている。」とあるが、私は2014年5月8日付「芥川龍之介「河童」(1)」に述べたように、読者が大勢いるであろう近代の有名作家の作品まで、私如きがわざわざ読むまでもないと思っていたので芥川氏の作品も余り読んでおらず、この「周知」の事実も、この「あとがき」を読んで初めて知ったような按配だったのである。(以下続稿)