瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

菊池規子『わが輩はノラ公』(1)

・JUMP COMICS(1)

 作者の菊池規子は、少年漫画雑誌に連載を持った初の女流漫画家であるらしい。しかしながら、本作の他に読切を何篇か*1発表したきりで引退してしまったようだ。
 連載は、Wikipedia週刊少年ジャンプ連載作品の一覧」に拠ると、昭和48年(1973)14号から28号まで「週刊少年ジャンプ」に、その後、月刊の「別冊少年ジャンプ」に移行して、国立国会図書館サーチに拠ると昭和48年(1973)9月号から昭和49年(1974)8月号まで連載、昭和49年9月号から同誌は「月刊少年ジャンプ」に改題しており、本作の連載もそのまま続いたようだが、平成19年(2007)7月号まで刊行されていた「月刊少年ジャンプ」は国立国会図書館デジタルコレクション(国立国会図書館内公開)に収録されていない*2ので、国立国会図書館サーチでは追跡出来ない。
 国会図書館には単行本も第8巻までしか収蔵されていない。差当り「菊池規子『わが輩はノラ公』巻末解説 全リスト」を参照するに、昭和50年(1975)から昭和53年(1978)に掛けて、全11巻が刊行されたことが分かる。第1巻の笠間しろう(1937生)の「セーラー服姿の少女が少年漫画家に変身!!」から察するに、10代でデビューし、20代前半で引退したようだ。当時だと縁談があって家庭に入った、と云うことになるのだろうか。 

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 題を「菊池規子『わが輩はノラ公』(1)」にしても良かったのだが*3、現物を1冊も手許に置かず、見に行くこともなしに書いているので、これを前面に押し出すのは止めて置いた。実は「昭和50年代前半」に読んだと云う確証もない。――中学時代に友人から古い、しかも揃いでない漫画や文庫本を段ボール1箱もらったことがあって、その中に含まれていた可能性もあるのである。しかし、記憶が曖昧になってはいるのだが、やはりこれは、兄が持っていたと思うのだ。私が小学5年生(昭和57年度)まで子供部屋に兄弟2人入っていた、その頃までに、いや、その家ではなく、小学2年生(昭和54年度)までを過ごした家で、読んだように思うのである。
 何故か1冊だけ、カバーの掛かっていない橙色っぽい表紙だったことを覚えている。そして、何故か1話だけ、覚えているのである*4。――弱小の野球チームに、頭が良く人語を話す犬のノラ公が、いろいろ智恵を授けて勝利に導く、と云う筋で、ナックルボールの握りと、投げ方、そして打っても内野フライに終わることなどを妙に覚えている。ナックルなどと云う変化球は『ドカベン』にも当時まだ出て来なかったので、一応野球少年でもあった私は「ノラ公」の明快な説明に目を瞠ったのだと思うのである。
 覚えているのはこの1話だけだ*5が、この1冊通して非常に面白かった印象があって、他の巻も読みたいと思いつつ、当時の限られた小遣いでは漫画は『ドラえもん』を買うのが精一杯で、それ以外の漫画を買おうなどとは、いや、そもそも漫画を探そうなどと云うことすら、当時の私には思いも寄らなかった。
 その後、度重なる引っ越しに紛れて、その1冊もどこかへ行ってしまい、30年は見ていないと思う。しかし、妙に印象に残っていて、ふと思い付いて、死ぬまでに全巻読む機会が作れたら、と念願しつつ、メモして見た次第である。(以下続稿)

*1:【追記】投稿当初、ここに検索してひっとした2作を挙げておいたが、7月17日付(2)に取り上げることにしたので、削除した。

*2:同様に、刊行中の「週刊少年ジャンプ」も国立国会図書館デジタルコレクションに収録されていない。

*3:【追記】以下は投稿当初「[漫画]昭和50年代前半の記憶(7)・JUMP COMICS『わが輩はノラ公』(1)」と題していたことによる。改稿すべきであるがこの注を加えた上でそのままにして置いた。

*4:ノラ公には家族がいたように記憶するので、初めの方の巻ではないようだ。

*5:書いているうちに何となく思い出して来た。――好きな女性に告白出来ない青年を後押しして、目出度くカップル成立になる。そして、公園か川の土手か、とにかく開けた草地でのデートでこの2人がラブラブ、それに対抗するかのようにノラ公夫婦もラブラブ、みたいな結末だったように思う。