瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

河本正義『覗き眼鏡の口上歌』(6)

 昨日の続きで神戸陳書会「陳書」に見える河本氏の住所及び寄稿について。
・「陳書」第五輯(昭和九年十二月三十日印刷・昭和十年一月四日發行・非賣品・神戸陳書会・三二頁)
 裏表紙の裏、奥付の上から右に掛けて「會員名簿(イロハ順)」に、33名挙がる中に12番め、

同  湊區下祇園町四二六         河  本  正  義

とある。寄稿は二三~二五頁「有馬ぶしに就て」、二六頁「初句索引」を初めに据えて二七~三二頁12行め「有馬ぶし」詞章の翻刻。文中「筆者」とのみで名前がないが表紙裏の「目次」の末(14行め)に、

有 馬 ぶ し ……… 附、有 馬 ぶ し に 就 て ………………………… 河  本  正  義 … 二三

とある。
・「陳書」第六輯(昭和十一年三月二十五日印刷・昭和十一年四月一日發行・定價三十五錢・神戸陳書会・二六頁)
 裏表紙の裏、奥付の上から右に掛けて「會員(イロハ順)」に、25名挙がる中に10番め、

同  湊區下祇園町四二六         河  本  正  義

とある。寄稿はしていない。
・「陳書」第七輯(昭和十一年十一月二十五日印刷・昭和十一年十二月一日發行・定價三十五錢・神戸陳書会・二四頁)
 裏表紙の裏、奥付の上から右に掛けて「會員(イロハ順)」に、26名挙がる中に10番め、

同  湊區下祇園町四二六         河  本  正  義

とある。寄稿はしていない。
・「陳書」第八輯(昭和十二年九月一日印刷・昭和十二年九月十日發行・定價三十五錢・神戸陳書会・二二頁)
 裏表紙の裏、奥付の上から右に掛けて「會員(イロハ順)」に、25名挙がる中に10番め、

神戸市湊區下祇園町四二六         河  本  正  義

とある。「同」が「神戸市」になったのは9番め、第二輯以来河本氏の前に名前が出ていた川島右次が「武庫郡御影町」に移ったため*1。寄稿はしていない。
・「陳書」第九輯(昭和十三年五月十日印刷・昭和十三年五月十五日發行・定價三十五錢・神戸陳書会・二八頁)
 裏表紙の裏、奥付の上から右に掛けて「會員(イロハ順)」に、22名挙がる中に10番め、

神戸市湊區下祇園町四二六         河  本  正  義

とある。寄稿はしていない。
・「陳書」第十輯(昭和十四年三月二十五日印刷・昭和十四年四月一日發行・定價三十五錢・神戸陳書会・三四頁)
 三四頁、奥付の上から右に掛けての「會員(イロハ順)」に、23名挙がる中に9番め、

神戸市湊區下祇園町四二六         河  本  正  義

とある。太田氏が出征したため「編輯兼/發行人」が川嶋右次に代わっている。寄稿はしていない。
 河本氏の名が「陳書」に見えるのはこれが最後のようだ。例会にも出ていなかったらしく、退会について「編輯後記」等にも記述はない。
 2015年5月30日付(2)に触れた、神戸新聞の北支・中支特派員、社史編纂委員主査を務めた河本正義と同一人物だとすれば、第十輯刊行後、神戸新聞の特派員として支那の戦線に赴くことになり、既に遠ざかっていた趣味的な会からは退くことにした、と想像することも出来よう。或いは女学校教員から新聞社に転じたことが、会誌編輯を手伝うこと(第二輯)もあった神戸陳書会から遠ざかる原因になっていたかも知れない。‥‥等と想像を逞しくして見るのである。(以下続稿)

*1:第一輯は太田氏の次であった。