瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

『三田村鳶魚日記』(28)

・高松家との関係(5)高松みさを①
 そして五月四日(日)条に、八重夫人の妹みさをが初登場します。153頁下段18行め~154頁上段1行め、

‥‥。○不在中増田/兄ヱツ女来ル、捷治、操女来ル、操ハ八重ノ妹ナリ、始【153】メテ逢フ。○増田兄重来シ乃チ面ス。○‥‥

と、同じ箇条に他の人たちとともに見えており、これがみさをとの初対面であったことが分かります。増田家については上野(小谷)悦子の研究を参照しつつ別に述べることとしましょう。
 五月二十七日(火)条にも、156頁下段2行め「‥‥。○高松操女来ル。/○‥‥」と三田村家を訪ねています。
 七月二十三日(水)には、162頁下段18行め「‥‥。○操女一泊。」とあります。
 七月二十九日(火)、163頁下段15行め「○操女来る。○夜間凌雲院、吉田書店を訪ふ。○調息四炷。」とあります。凌雲院は廃絶していますが、「天台宗東京教区」HPの「東叡山寛永寺 林光院」項に「‥‥。第2次大戦後は寛永寺住職の住居寺である上野公園の凌雲院にしばらく‥‥」と、戦後まで存していたことが分かります。跡地には現在国立西洋美術館が建っております。
 三田村氏はそのまま八月四日(月)条、164頁上段19行め「午後七時帰宅。‥‥」まで凌雲院に泊まっていたようです。その前日の八月三日(月)条、12~13行め、

松村琴荘氏来ル、面会セズ、八重、操女ヲ拉シテ来リ、/僧正御方ニ初見ス、御按内ヲ受ケ御霊屋ヲ拝観シテ帰ル。/○‥‥

と、八重夫人が妹を連れて寛永寺を訪ねています。
 御霊屋は四代将軍徳川家綱(十代将軍家治、十一代将軍家斉も合祀)の厳有院霊廟と、五代将軍徳川綱吉八代将軍吉宗・十三代家定も合祀)の常憲院霊廟ですが、空襲で焼失しました。松村琴荘については別に記事にしましょう。(以下続稿)