瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

杉村顕道の著書(1)

・杉村顕道『増補 近代名医伝』昭和三十三年九月二十日印刷・昭和三十三年十月 一 日発行・定価 二八〇 円・槐書院・374頁・B6判並製本
 「増補」は角書。
 見返しの遊紙、扉、吉田富三「序」1頁(頁付なし)「昭和三十三年九月上浣」付で裏は白紙。武藤完雄「序」2頁(頁付なし)は「昭和三十三年初秋」付。「端   書」は2頁め(頁付なし)は末尾にやや小さく4~6行め「昭和三十三年初秋/仙台 擁光廬に於て/著 者  識」とある。「目   次」2頁(頁付なし)。次いで「佐  藤  泰  然」の扉、裏は白紙。本文は一~三一頁、次いで「松  本     順」の扉、裏は白紙。本文は三三~七五頁。
このように扉は本文共紙だが頁数に含まれていない。以下、大野松齋(七七~九六頁)浅田宗伯(九七~一一九頁)長与専斎(一二一~一五一頁)北里柴三郎(一五三~一七一頁)青山胤通(一七三~一九三頁)高木兼寛(一九五~二一四頁)長谷川泰(二一五~二三八頁)野口英世(二三九~二六三頁)長与又郎(二六五~二八八頁)山川章太郞(二八九~三〇八頁)三輪德寬(三〇九~三二九頁)呉秀三(三三一~三五一頁)土肥慶藏(三五三~三七四頁)。
 成立事情を窺うに必要であるから「端書」の全文を抜いて置こう。1頁め2行め~2頁め3行め、

 本書は終戦直後、某誌のために執筆連載したものを取り纏めたものである。
 各篇とも三十五枚程度の、所謂、中間読物で、著者としては、無論、書き不足を歎ぜ/ざるを得ない性質のものである。
 然るに、諸先輩のお勧めに従って、去る年、「日本名医伝」と題して、形ばかりの自/費出版をしたのだつたが、今回、槐書院主人縮勇氏の好意に依り、改めて本格的に上梓/する運びとなつたことは、著者として喜びに堪えない。
 この機会に、未発表の三輪・呉・土肥三先生伝を加えて、「増補近代名医伝」と改題す/ることにした。
 猶、上梓に当つて、当代名誉の三碩学東北大学総長医学博士黒川利雄氏から、題簽【1】の御揮毫を賜り、東京大学教授医学博士吉田富三氏、並に東北大学教授医学博士武藤完/雄氏から、序文を賜る光栄に浴した。ここに謹んで、満腔の謝意を表する次第である。
 又、装釘に彩管を揮って貰つた、弟の光風会々員杉村惇君に併せて謝意を表したい。


 黒川利雄(1897.1.15~1988.2.21)は東北大学第10代総長、吉田富三(1903.2.10~1973.4.27)武藤完雄(1898.2.27~1972.6.20)はともに東北大学教授で、癌研究に大きな足跡を残した。杉村惇(1907.9.7~2001.8.13)は5男4女の末子で、平成26年(2014)11月に開館した「塩竈市杉村惇美術館」HP「杉村惇作品 常設展について」の「洋画家 杉村惇について」に拠ると、「仙台に長姉が嫁いだことから、宮城県との縁が生まれ」たとのことで、同じページの「杉村惇 略歴」の「1933年(昭和8) 26歳」条に「仙台市の長姉の嫁ぎ先に寄寓。常盤木学園で一時教鞭を執る。」とあり、「1938年(昭和13) 31歳」条には「5月 新野さく子と結婚 仙台市木町末無町に転居(’40年)」そして「1940年(昭和15) 33歳」条には「上京 豊島区千早町の借家(アトリエ付きの一間)に転居 軍需生産美術推進隊に参加」とあって、この昭和8年から15年までの杉村惇の仙台滞在期間(第1次)に、8月17日付「「木曾の旅人」と「蓮華温泉の怪話」拾遺(104)」に引いた叢書東北の声11『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』所収、杉村氏の次女・杉村翠の談話「父・顕道を語る」の続き、444頁上段10~20行め、

 昭和十一(一九三六)年、弘子さんの治療のために/樺太から宮城県仙台市に家族で移りました。仙台に/は父の姉と弟、それにお友だちのお医者さんがいた/んです。それもあって「最初は東京に帰るつもりだっ/たが、病状が悪化して仙台に落ち着いてしまった」/といっていました。弘子さんの介護をしながら仙台/市内の夜間女学校の教師などを続けました。けれど/も、治療の甲斐なく、弘子さんは昭和十三(一九三八)年に亡くなりました。二十一歳だったそうです。/父は「樺太なんかに連れて行って、自分が殺したよ/うなものだ」と晩年まで後悔していました。

とある、杉村氏の仙台滞在期間(第1次)が始まっている。なお「弘子さん」については同じ節の冒頭、442頁下段2~9行め、

 父はこの長野時代に最初の妻、弘子と結婚しまし/た。弘子さんはまだ十七歳だったそうです。からだが/弱かったのに自分も樺太に一緒に行きたいといってく/れた。弘子さんの両親も許してくれた。ところが樺太/で肺結核に罹ってどんどん悪化してしまった、北の果/てですから治療薬もなかなか手に入らない。手に入っ/てもとても高価だった。生まれたばかりの長男の優を/抱えて、父はかなり苦しい生活を送ったようです。

とある。杉村翠とその姉は、その後、昭和14年(1939)に再婚した光子との間の子供である。
 原型となった杉村顯道『日本名醫傳』(昭和28年6月・擁光盧・206頁・B6判)は国立国会図書館に所蔵されているが、槐書院版は所蔵されておらず、公立図書館に若干の所蔵がある。杉村彩雨『(定本)近代名医伝』として昭和47年(1972)8月に宝文堂出版販売から刊行されたものは国立国会図書館等に所蔵されており、「日本の古書店」にも若干の出品がある。
 ところで、一六〇~一六一頁の間に挟み込まれていた「郷土関係既刊書」目録も貴重であろう。やや青みがかった薄い紙(17.3×11.5cm)に謄写刷、1行め、題下に右上に小さく「発行元」と添えて「えんじゅ書房/槐   書院」と割書して9点を列挙する。上部に小さく著者名、中央やや上に標題、下部に離れて定価。ここではそれぞれ1字空けにして示す。「〈故小倉博著/小倉巖補訂〉 仙 台 増補第七版*1 二三〇円/仙台市史編纂委員会 仙台の歴史 普及版 一二〇円/三原良吉著 仙台の傳説 一〇〇円/熊谷三郎著 仙台附近の鳥 一〇〇円/菅野新一著 こけし宮城県 三〇円/菊地勝之助著 仙台地名考 二〇〇円/菊地勝之助著 宮城県郷土誌年表 八〇〇円/東北文学研究会 みちのく文学風土記 二〇〇円/小原 侃著 宮城野萩 近 刊」字は若干裏写りしている。

*1:「第」は略字。