瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

田中貢太郎『新怪談集(実話篇)』(03)

 話を検討する場合、私は原典に遡って考察しようと思う。なるべく話の発生時期に近いものを探して、妙な賢しらが加えられていないものを見たいと思う。それが出来ない場合、複数の話を並べて原型を追究しようと思う。だから、どうしても再話・リライトを好きになれない。いや、何も考えずに読むだけなら怪異小説よりは抵抗なく読めるが、考察には使いづらいのである。調査と解釈が及ばなかった分だけ、原典から微妙に離れている。いや、そこを別の発想や知識で補ってしまうので、どうしても離れてしまう。そうすると私などには、そもそも書き替えなくても良かったのではないか、いたづらに異説・異版を増やしてしまっただけではないか、と思えて仕方がない。もとより営業妨害をするつもりはない*1。しかしながら、原典から離れた内容の方が流布するのは、やはり宜しくないと思っているので、こうして過疎ブログに検討結果を示して置くくらいは許されよう。
・丸山政也・一銀海生『長野の怖い話 亡霊たちは善光寺に現る』(2)
 昨日の続きで、典拠である河出書房新社版『日本怪談実話〈全〉』と比較しつつ、丸山氏のリライト振りを確認して置く。記事の題は『日本怪談実話〈全〉』の原題である『新怪談集(実話篇)』としてある。要領は同じく『日本怪談実話〈全〉』からの引用を〈 〉で、『長野の怖い話』からの引用を《 》で括った。
五 龍神のお告げ 木曽郡 35~36頁
 9月27日付「青木純二『山の傳説』(03)」に『新怪談集(実話篇)』【168】龍神河出書房新社版『日本怪談実話〈全〉』258頁7行め~259頁1行め)が典拠であることは指摘して置いた。
 まづ冒頭〈大正十二年七月二十四日木曾谷の大洪水に際して、‥‥〉とあるが、これはそもそも田中氏が誤っているので、大正12年(1923)7月18日が正しい。しかし《大正十二(一九二三)年七月二十四日に起きた木曽谷の大洪水の際、‥‥》と、訂正していない。
 特に気になったのは35頁4~5行め、

 洪水が起きる数日前、電気工事のために多くの土工が村に入りこみ、複数の現場にそれ/ぞれ数十人が従事する形で、大掛かりな工事が行われていた。

との段落で、典拠では〈‥‥、その洪水や山崩れの起こる五六日前の十四日の事である。大同電気の工事のために、同村に入りこんでいた多数の朝鮮人は、あちらこちらに群れて工事に従事していたが、‥‥〉となっていた。
 〈二十四日〉の〈五六日前の十四日〉とは妙だから、どちらかが間違いのはずである。
 《電気工事》とは普通、専門業者による「屋内及び家屋の外面における電線の架設や電気機器の設置などの工事」を指すから、屋外で《多くの土工》が《大掛かりな工事》とは何だろうと思っていたのだが、〈大同電気の工事〉を《電気工事》としたらしい。〈大同電気〉は正しくは「大同電力」で、木曾谷の水力を利用した電源開発を行っていた。従ってこの〈工事〉は発電所や送電施設の建設工事なので、所謂《電気工事》ではない。
 それから〈朝鮮人〉であることも伏せられている。昨年10月から今年3月まで放映された連続テレビ小説まんぷく」の主人公の夫が当初、大阪弁を使えないのを気にしている設定だったので、モデルである安藤百福(呉百福。1910.3.5~2007.1.5)と同じく台湾人にするのかと思ったら、兵庫県南西部に親戚がいる日本人と云うことになっていて、しかも大阪弁が不得手な理由、すなわち妻と出会うまで何をしていたかは、最後まで説明されなかった(と思う)。その後の「なつぞら」と、その前の「半分、青い。」が大変な駄作だったから評判が良いようだが、所詮は凡作だった。
 丸山氏は「まえがき」で「県の歴史」を柱の1つとしたことを強調していたが、木曾川電源開発は強調して良い事柄だろうし、そこに朝鮮人が従事させられていたことも伏せるべきではないと思う。――私は「怪談実話」もしくは「実話怪談」と云うジャンルをどうも好きになれないのは、三島由紀夫の「小説とは何か」に於ける『遠野物語』の「炭取」に当たる要素を排除しているからである。つまり、具体的な地名・人名の排除である*2。実際にあるものとの関連が感得されるから少しは現実味が感じられるので、そこを排除しては何だかぼんやりした印象しか得られない。もちろん、これは昨今の個人情報保護の風潮に従っているので、仕方がないのであろう。Wikipediaでも日本版は個人名が全てABCになっているのに対し、英語版は全て実名だったりする。しかし、現存している人物に絡むのならともかく、歴史上の出来事まで朧化させる必要があるのだろうか。もちろん、それでは固有名詞をぼかしている現代パートとの釣り合いが取れないのだけれども。いや、言い換えるのならきちんと調べて言い換えて欲しいのである。
 『日本怪談実話〈全〉』の最後の段落、258頁18行め~259頁1行め、

 なお、大桑村地籍で、駒ヶ嶽から流下する伊奈川の上流には、今も龍神が棲んでいるが、昔、その龍神/が洪水と共に川を押しくだった際にも、多数の人名を失った事実があると同地の古老は話している。

とあるのを使用していないことも気になる。これも木曾谷で水害が頻発した「歴史」と絡めて、使った方が良かったのではないか。(以下続稿)

*1:むしろ、哀しい哉、相手にされないのは私の方だろう。

*2:11月13日追記】改めて「小説とは何か」を読むと、具体的な地名・人名は「炭取」ではないのだが、私にとって「炭取」に当たるのは現実的な場所や人物なのである。――少々自分の思いに引き付けて強弁したような按配になってしまった。