瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森川直司『裏町の唄』(10)

・「投稿 風便り」(3)エチオピア関連
 一昨日からの続き。
op.9 秋野君はいま何処に  森川秀安さん(東京都) H15/10/21
 色が黒かったので「エチオピア」後に略して「エチョ」と渾名されていた同級生秋野君の回想。但し末尾に「(秋野は仮名) (シリーズ第1戦の平成15年10月18日記)」とあって、実名に似た苗字に変えてある。森川氏たちが小学3~4年生だった昭和10年(1935)10月から昭和11年(1936)5月に掛けて第二次エチオピア戦争があり、「メンコの絵柄」にもなっていたが子供たちは「弱い者いじめ」のイタリアを「きらってエチオピアを応援し」ていた、そんなことからエチオピアに「黒人の国」と云う印象を刷り込まれ、そして同級生秋野君の色の黒さが自ずと「エチオピア」を想起させた訳である。
 本書【8】「エチオピア」では(やはり苗字のみだが)実名だったのを変えたのは、理由があるのだがこの項では十分説明されていない。以下、当ブログでは森川氏の意思を尊重して秋野氏と呼ぶこととしたい。
 さて、本書の回想は小学生時代に終始しているが、本項には続きがある。東京大空襲でちりぢりになった小学校のクラス会を、森川氏と親友Mが幹事となって消息が分からなくなっていた先生や級友たちを探し出し、昭和42年(1967)に昭和14年(1939)卒業以来28年振りにクラス会を開いたことは『昭和下町人情風景』Ⅰ 昭 和【24】「クラス会」に説明されているが、そこでは秋野氏の出席には触れていなかった。
 本項では秋野氏が第1回から出席していたことに触れ、秋野氏は小学校卒業後、奉公に出ていたが、何度か変わったらしい奉公先の中に「王(貞治)の親父さんの中華そば屋」があり、そこで「俺はいつも王(貞治)をおんぶしていたんだ」と聞かされる。――それで、執筆日にわざわざ「シリーズ第1戦の」を冠しているので、この平成15年の日本シリーズ王貞治(1940.5.20生)監督の福岡ダイエーホークス星野仙一(1947.1.22~2018.1.4)監督の阪神タイガースの対戦だった。執筆の切っ掛けにもなっているのではないか。勝敗は於福岡ドームの第1戦(10月18日)と第2戦(10月19日)はダイエーが連勝、公開日の10月21日はまさに日本シリーズの最中だった。そして於阪神甲子園の第3戦(10月22日)第4戦(10月23日)第5戦(10月24日)は阪神が3連勝、福岡ドームに戻った第6戦(10月26日)第7戦(10月27日)はダイエーが連勝し、4勝3敗で福岡ダイエーホークスが日本一になっている。
 それはともかく、その後もクラス会に顔を見せていた秋野氏の人生は平坦ではなく、ついには消息不明になってしまったことを述べ、それが本項の題にもなっているのであるが、その辺りの事情は次の項に詳述されている。
op.10 続 秋野君はいま何処に  森川秀安さん(東京都) H15/10/27
 秋野君の人生の歯車が狂い始めたのは本書刊行後の昭和55年頃から。以後、同級生たちとの連絡を絶つに至った個人的な事情について、断片的に聞いた事柄に推測も交えて詳しく書いている。そのため本書では実名だったのを仮名にしたのであろう。末尾に(平成15年10月24日記)とある。
op.11 秋野君の弁当箱  森川秀安さん(東京都) H16/1/21
 ここでまた小学生時代の回想に戻る。
 この項の前半は本書【1】「入 学」【6】「男 女 組」そして【8】「エチオピア」、【5】「食 べ」を要約しながら繋げて行ったような按配で、『昭和下町人情風景』に再録されているのは、Ⅱ 下 町【8】「入 学」のみである。そして後半が題にもなっている秋野君の弁当箱の話で、これは本書及び『昭和下町人情風景』には語られていなかった内容となっている。
op.12 馬・馬・馬  森川秀安さん(東京都) H17/1/8
 op.11 から1年近く空いている。ハルウララ(1996.2.27生) の武豊(1969.3.15生)騎乗の引退レースが実現するかどうか、話題になっている。私は馬券を買ったことのない人間で、ニュースやら、それこそ関東・関西で夕方、母が流していたラジオから流れて来た競馬情報やらを聞いていたから、全くの無知と云う訳ではないが馬券の種類も単勝くらいしか分からない(と云うより知る気がない)人間で、しかも当時競馬好きの人間が周囲にいなかったので、さすがに聞き覚えはあったけれども、高知競馬場で連敗記録を樹立したことなど具体的なことは全く覚えていなかった。――森川氏はこれを切っ掛けとして、高知県と馬の縁を幾つか挙げている*1
op.13 趣味について  森川秀安さん(東京都) H17/2/10
 「先日我が家で資料探しをしていたら、わずか一年半10号をもって立ち消えになった昔の職場の同人誌が出てき」た中から、「投稿し」た「作品の一つ」を「前半だけご披露します」と前置きして、【同人誌「苗」昭和31年2月号から抜粋】を引用する。「前半だけ」と断っているがこれだけで起承転結の纏まりが付いている。偶然掘り出したように書いているが、内容的には op.12 に関連している。
 ここでは、森川氏が20代の頃に、同人誌に小説めいた文章を書いていたことに注目して置きたい。(以下続稿)

*1:高知県1月8日付(08)に見たように、HP管理人でもある活禅寺管長徹空無厳(中城無厳)の出身地で、「Nostalgia」連載によって活禅寺HP閲覧者には馴染みの場所。