瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

森川直司『裏町の唄』(11)

・「投稿 風便り」(4)家族の年齢
 昨日の続き。
op.14 寿命  森川秀安さん(東京都) H17/2/21
 本項は家族の年齢に触れているのが貴重である。
 全くこだわらない人もいるが、私は読解の際、是非とも考慮すべき条件だと思っている。
 まづ「私の身近にも88歳で亡くなった母方の曽祖父以外70歳に達した人はいませんでした。」と一族で最高齢だった人物について述べる。森川氏が今も健在であればこの記録を更新したことになる。

・・・・。終戦のとき私は18歳、其の年の私の誕生日の東京大空襲で父と弟妹4人が死に、母と兄と18歳下の妹が残りました。

 私は36歳のとき、あれから18年経ち、生まれてからあの時までと同じ歳月を生きたという感懐に浸りました。45歳の時には、父が死んだ歳に達したのだという思い、67歳の時には母の亡くなった歳になり、すでに兄は亡くなっていたので私が我が家の最高齢に達して、これがどこまで更新されるのかと思いました。


 全て満年齢だとすると、森川氏の父は明治32年(1899)3月から明治33年(1900)3月9日までの間に生れたことになる。仮に明治32年生として置くと、森川氏が生れたときには数えで二十九歳である。兄は2つ年上で1学年上の大正14年(1925)生で、森川氏が67歳になった平成6年(1994)3月10日には既に死んでいた。森川家は両親に兄・森川氏・弟妹4人・昭和20年(1945)2月生の末の妹の7人兄妹の9人家族で、森川氏の母が兄を生んだとき仮に満18歳、そして森川氏を生んだときに満20歳になる年回りだったとして、明治40年(1907)生と云う見当になる。これを下限として、恐らく夫より年下だったろうから明治34年から明治40年の間、やはりその下限に近い頃だろうと思うのである。仮に明治40年生とすれば昭和47年(1974)かその翌年に死亡したことになる。――それにしても誕生日が分からないと年齢を確定させられない満年齢は、こういう場合非常に不便で、混乱の元となりかねないと思う。
op.15 豆腐屋のリベート 森川秀安さん(東京都) H17/10/19
 前半は本書【14】「物売り」冒頭部の改稿。後半は本書には見られない内容で、子供のお使いに対する豆腐屋等が出していたリベート(お駄賃)について。
op.16 白木屋の火事 森川秀安さん(東京都) H17/12/17
 4段落から成るが、3段落めまでは本書【38】「佃の渡し」の166頁3行め以下の異稿。最後の段落は「古い証券マンからむかし聞いた話」で、昭和7年(1932)12月16日の白木屋火災当日の、兜町証券取引所の反応について。(以下続稿)