瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤いマント(268)

・中村希明『怪談の心理学』(20)
 昨日の続きで、次の節、39頁11行め「「白い手、赤い手」と河童のフォークロア」を見て置きましょう。ここではいきなり39頁12行め、2字下げの引用が始まります。
 ここでは原典である『現代民話考[第二期]Ⅱ 学校』から引いて置きましょう。単行本「第一章 怪談」77頁〜110頁13行め「六、便所にまつわる怪」=文庫版「第一章 笑いと怪談/怪談」93頁5行め〜131頁「六 便所にまつわる怪」の、単行本87頁14行め〜92頁14行め「三 白い手・赤い手」=文庫版105頁15行め〜111頁7行め「白い手・赤い手」は共に19例、まづ単行本87頁15行め〜88頁3行め(=文庫版105頁16行め〜106頁4行め)に、例話として見えています。改行箇所は単行本は「\」で、文庫版は「|」で示しました*1

 昭和十八、九年頃の話。岡山市内のある旧制中学校の寄宿舎でのこと。夜、便所に|【105】行ったら天\井の方から「白い手がいいか、赤い手がいいか、青い手がいいか」という声|が聞えて、冷たいもの\【87】にお尻を触れられたという。あとで調べてみると、以前その便所|の中で寄宿生のひとりが首つり自\殺をしたことがあったということがわかったという。
                                岡山県・山内靖子/文――


 回答者の1行は下寄せ。山内靖子(1937生)は、日本の昔話12『東瀬戸内の昔話』(昭和50年・日本放送出版協会)の編者(柴口成浩・仙田実・山内靖子)の1人でしょう。

 続く「分布」の15番めに、単行本91頁17行め~92頁1行め「○岡山市内の旧制中学。本文。話者・当時旧制中学に通学していた近所の生徒。回答者・山内靖\子岡山県在住)。」と、1行めは1字下げ、2行めは2字下げで見えています。文庫版110頁7~9行め「*岡山市内の旧制中学。本文。|話者・当時旧制中学に通学していた近所の生徒。回答者・山内靖子岡山県住)。」と、こちらは1行め1字下げ、2~3行め3字下げ。
 中村氏は40頁1行めまで、回答者に関する情報は省いてこの話の本文のみを引用し、1行空けて2~5行めに、

 物資不足の戦時中は、当然ながら貴重品のチリ紙は各自持参だった。
 どこのトイレに入ってもロール・タイプのトイレットペーパーが備えつけてあるのは昭/和元禄の一九七〇年代からである。このころになると呼びかけられるのは、運悪くペーパ/ー切れのトイレに入った子供だけになったらしい。

と、ちょっと噛み合わないコメントをしてから「白い手・赤い手」の項に集められている、便器から手が出る怪談へと話を進めるのです。6~10行め、

 しかし、物資不足時代に誕生した「赤い紙白い紙」の怪談が高度成長で豊かになった七/〇年代まで根深く残っている本当の理由は、おそらく、トイレの下の方から子供たちのお/尻をなでまわす「白い手」の恐怖と結びついているからだろう。
 なぜなら、便所の下から現れて子供の尻をなでまわす怪談だけが、独立して明治時代の/小学校にも存在するからである。

として、11~13行め、前後1行空け・2字下げで『現代民話考』の「白い手・赤い手」の項の最後、15番めの話を、やはり回答者を省いて引用します。これもやはり原典から抜いて置きましょう。単行本92頁11~14行め(=文庫版111頁4〜7行め)、

熊本県飽託郡天明村(現、天明町)*2。明治三十五年頃の話。学校の便所には、一ヵ所*3|手を出し\てきてお尻をなでる所があり、夕方になって便所へ行きたくてもがまんし|て家へ走って帰った\ものだった。
 話者・母。回答者・今村泰子(東京都在住)


 Wikipedia天明町」項を見るに、熊本県飽託郡天明村は昭和31年(1956)9月30日に飽託郡川口村・中緑村・内田村・銭塘村・奥古閑村・海路口村が合併して発足した村で、昭和46年(1971)4月1日に町制施行して飽託郡天明町になりました。その後、平成3年(1991)2月1日に熊本市に合併編入されています。ですから『現代民話考』刊行時には確かに「飽託郡天明町」だったのですが明治35年(1902)頃には「飽託郡天明村」は存在しませんでした。では、どこの村だったのかと云うと、かつて(2006年9月8日)国立国会図書館で「民話の手帖」の「現代民話考」の載っている号を一通り閲覧した際に、恐らく会員住所録から私の関心の中心であった『現代民話考[第二期]Ⅱ 学校』の報告者を書き抜いた中に「今村泰子  東京都練馬区石神井1-■-14(熊本県飽託郡銭塘尋常小学校1928年3月卒)」とある*4のがヒントになりそうです。銭塘は「ぜんども」と読みます。今村泰子(ひろこ。1916~2005)の生歿年は「国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス」等にて判明しますが、このメモから今村氏は大正5年(1916)の早生まれで、昭和3年(1928)3月に銭塘尋常小学校を卒業していることが分かります。もちろん今村氏の母が、後に「天明村」となる他の村から「銭塘村」に嫁入りして来た可能性もありますけれども、仮に同じ村の出身とすると、明治8年(1875)創立の銭塘尋常小学校と云うことになります。「熊本市立銭塘小学校」HP「学校の沿革」を参照するに、創立当初、銭塘村本田(ほんでん)に校舎が建築され、明治14年(1881)に銭塘村五町に移転、明治42年(1909)に銭塘村三町に移転、これが現在地(熊本市南区銭塘町990番地)のようです。そうすると母の通った時代と今村氏の通った時代で場所が違うことになりますが、先刻断ったように今村氏の母が通ったのは別の村の小学校かも知れませんので、飽くまでも可能性の話です。
 とにかく、これを「熊本県飽託郡天明村」の話とするのは不正確なので、今後、引用・言及する際には「現在の熊本市南区」とするべきでしょう。
 長くなりましたので、続きは次回に回します。――今村義孝(1908~2006.10.18)泰子夫妻共著の本を、2011年7月11日付「今村義孝・今村泰子『秋田むがしこ』(1)」から取り上げて、未來社の『日本の昔話』シリーズについて述べるつもりだったのだけれども、これもそのままになっているうち、このシリーズの装幀の違う揃いが開架に並んでいた都内の区立図書館2館に気軽に行けなくなってしまったので、続きがなかなか書けそうにありません。(以下続稿)

*1:なお、単行本の1行め、最初の読点が半角なのに「 ら 」に2字分費やすなど、結局他の行より1字半、字数が少なくなっており、校正途中での変更などを窺わせるのですが、今のところ理由は不明です。

*2:ルビ「ほうたく・てんめい」。なお文庫版はこの括弧をやや小さくする。

*3:文庫版「一か所」。

*4:恐らく住所録の書き抜きに、別の記事(会報などへの投稿)にあった小学校卒業年次を書き添えたもの。