・銀河テレビ小説「たけしくんハイ!」シナリオとの異同(10)
昨日の続き。
・第6回(3)テレビ
松原組では見習いの安夫と政吉は帰省して、松原源治(金田龍之介)定子(今井和子)夫婦が炬燵に入ってのんびりテレビを見ていたが、そこにたけし(小磯勝弥)が「テレビ見せて下さい!」と言って、友人を引き連れて来てしまう。
これは第5回、源治が年内最後の義太夫の稽古に西野家を訪ねた際、丹念に漆を塗ったウキを竹次郎にもらって、気を良くしてテレビを買ったことを言い、たけしに見に来るよう言ってしまったためである。その直後にたけしが一人で見に来たときには、夫婦とも嬉しそうにしていたのだけれども。
ところが、源治たちが見ていたときの番組は寄席中継だったのが、たけしたちが居間を占拠してから「新春放談」になってしまうのである。
この番組だが、NHKアーカイブス「NHK番組発掘プロジェクト通信」の2015年12月の特集「おめでたい番組探してます!」の「「新春対談」「新春放談」」に拠れば、
テレビの新春対談番組で残っている一番古い映像は、翌年の1955年1月1日に放送した「新春放談」。学習院長の安倍能成さんと朝日新聞論説主幹の笠信太郎さんの対談です。この番組では“時”と“時代の流れ”について対談しています。
とあって、まさにこの日に放送された映像を使っているのである。
TVドラマでは松原組の座敷のテレビに、上記「おめでたい番組探してます!」にも掲出されている「新春放談」のタイトルが写って、
ナレーション:「学習院長の安倍能成さんと朝日新聞論説主幹の笠信太郎さんにお出でを願い新春に当たって色々話し合って頂きます。」
安倍:「えー私はあのー12月23日ちょうど‥‥」
と流れる。太字にした人名は画面の下部に横組みの白字で出た文字。
幾らほぼ初めて間近に見るテレビでも、偉そうなオジサンの対談が始まっては退屈である。そこでふざけてちょっかいを出し合うなどして、そのうちにテレビなぞそっちのけ、人の家であることも忘れて乱闘になり、新年早々障子を破いてしまったりするのである。
ここは巧みに当日の映像を使って、面白く作っている。『シナリオ』では、81頁上段15~17行め、「同」は松原組。
●同・座敷(暫くののち)
寝転んだり、取っ組み合いをしたり、走り廻っ/ たりしながらテレビを見ているたけし達。
となっていて、番組に退屈してふざけ始めた、と云うことになっていなかった。
しかしながらNHKクロニクル「番組表ヒストリー」で検索するに、
日付・時間 | 番組タイトル | 出演者 |
---|---|---|
1955年01月01日(土)午後09:40~午後10:00 | 新春放談 | 安倍能成,笠信太郎 |
1955年01月01日(土)午後10:00~午後10:05 | 番組のおしらせ |
とあって(一部省略)、夜の放送休止前の番組なのである。
まぁ、これが昭和30年(1955)1月1日放送の番組だったことなんて誰も覚えていないだろう。夜遅くにやっていたことも。何年か後の「新春放談」を使っても、バレなかっただろうし。
それはともかく、たけしは翌日、今度は女子(太田よし江と中岡京子)まで引き連れて松原組に押し掛ける*1。テレビを見ていた源治は慌てて消して寝たふりをし、定子は故障して写らないと言って帰らせる。
私は、このたけしの増長振りが苦手である。源治は向かいの子供だから、近所付き合いの一環として声を掛けたのである。それなのにたけしは自らに見せる権限があるかのように振る舞うのである。たけしだけだったら松原家に入り浸って、そのうち真利子にきつく叱られて、源治や和子もたけしを無闇矢鱈と可愛がっている訳ではないから、「お母ちゃんにきつく言われてるんだ」と言って断ることも出来ただろう。しかし、真利子が介入するより前に、一気に大人数をたけしが連れて来たものだから、松原家では故障を口実にせざるを得なくなり、その後も自由にテレビが見られない状態を自らに課すこととなってしまった。可哀想である。
結局松原家ではその後、テレビに布を被せて、殆ど見なくなってしまったらしいのである。(以下続稿)
*1:雨が降る中、傘を差し掛けてもらって、まるでお大名か何かのように西野家から松原組へ〝御成になる〟のであった。