瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

柴田隆行『片倉の自然』(3)

 2022年2月27日付「八王子事典の会 編『八王子事典』(12)」に参照した、科学技術振興機構のデータベース型研究者総覧「researchmap」の「柴田 隆行/シバタ タカユキ (Takayuki Shibata)」項は、現在(更新日: 2022/09/19)となっている。柴田氏の所属は「東洋大学 社会学部第一部 社会文化システム学科 教授」のままである。
 しかしながら、田上孝一(1967生)の2022年3月16日19:23 の Tweet により、一昨年11月に遭難死していたことを知った。しかし「季報唯物論研究」は出身大学の図書館を利用出来れば見に行くところなのだが、まだ校友の利用が制限されているので見る機会を得ない。


 田上氏が参照している埼玉県警HPの「山岳遭難発生状況」は、当月と過去11ヶ月しか表示されないので、私が気付いたときには2021年11月(13日)は丁度閲覧出来なくなったところであった。しかし、本書の記述からしても、柴田氏が山で遭難死すると云う状況は、確かにありそうなのである。
 すなわち、①16頁5~7行めに、

 数年前、南アルプスの山小屋で生活していた時、コジュケイの声を聞いて驚いたこと/がある。なにせ、その山小屋、標高二四〇〇メートルの高さで、そこから40分も登らな/い所にライチョウが住んでいる、という位置にあるのだから。‥‥

とある。③16頁8~10行めでは次のように推敲されている*1

 数年前、南アルプスの山小屋で生活していたとき、コジュケイの声を聞いて驚いた|ことがある。なにせその山小屋、標高二四〇〇メートルの高さにあり、そこから40分|も登らない所にライチョウが住んでいるのだから。‥‥


 私は南アルプスは、高校2年生のときの夏山合宿で、広河原から白根三山を縦走して奈良田に下山したことがあるのみ、鳳凰山には行ったことがない。学部生時代や院生時代、山小屋や温泉旅館の住み込みアルバイトを考えたこともあったが、実行しなかった。
 ①90頁8行め~91頁2行め③88頁5~12行めにもこの山小屋暮らしのことは、

‥‥南アルプスを中心に山歩きをし、山小屋に居候し|て/野生生物や高山植物の知識を得た。 また*2、その頃工事が進められていた南アルプス・/|スーパー林道に反対して、個人的に調べたり、*3登山者に訴えたりしたが、個人の活動に/|限界を感じ、当時結成された「南アルプス自然保護連合」に個人会員として参加した。/|環境庁へ陳情に行ったり、*4街頭署名をしたり、現地へ行ったりしたが、山梨・長野へ東/京|から出かけての反対運動には、*5それなりの限界があった。そんなある日、横山理子さ/【90】ん|の『多摩川の自然を守る』という新書版の本を読んで、*6小学校卒業時の言葉を思い出し、/|多摩川の自然を守る運動に参加することにした。というのも、‥‥

とあるが、この南アルプスの自然保護活動の限界が、柴田氏をして子供の頃から親しんできた多摩川の自然保護活動へと目を向けさせ、昭和45年(1970)2月8日結成の「多摩川の自然を守る会」への参加と、その代表を長年務めることへと繋がったことが理解される。なお「多摩川の自然を守る会」HPの「更新履歴」は、数日おきになされていた「ニュース加筆」が「2021年11月10日」で停止している。特に柴田氏の消息についての告知はないが、会の代表として精力的に活動していた柴田氏の不在が印象付けられるものとなっている。
 この山小屋のことは①112頁7~10行め③108頁1~4行め、

 さて、私は本文の中でしばしば南アルプスでの体験を語ったが、その多くは鳳凰山|で/のことである。その鳳凰山中にある鳳凰小屋の御主人は動物写真家でもあるのだが、|そ/の細田倖市さん自作の絵葉書きに、次*7のように書いてある。この言葉をもって、|本書を/閉じようと思う。

とあって鳳凰小屋であることが分かる。細田倖市(1941生)は現在も鳳凰小屋オーナーである。
 南アルプスには本書刊行前にも通っていて、①76頁11行め~77頁1行め③75頁7~10行め、

‥|‥。/エナガの思い出は、今年(一九八〇年)の正月、南アルプス山麓で、木の枝にで|きたツララから、エナ/ガが数羽空中を飛びながら、*8水を飲んでいたことだった。コゲラ|についての思い出は、/やはり南アルプスの大井川沿いのカラ松林で、*9巣立ちしたばかり|の子鳥が親鳥から盛ん*10/にエサをねだっていたことだ。

と冬季にも(登山までしたのかどうか分からないが)出掛けている。――コゲラの思い出は今年のことではなさそうで、山小屋暮らしの頃に静岡県にも足を伸ばしたのであろうか。
 幾つか問合せたいことがあったのだが、私が気付いたときには実は他界後であった。いや、問合せたかどうか分からない。当人であっても当時のことを正確に思い出せる訳ではないし、当時の資料を保管していても直ちに取り出せる訳でもない。しかし、本書を読み、そして「多摩川の自然を守る会」などでの精力的な活動を知るにつけ、或いは柴田氏なら可能だったのではないか、と思うと、返す返すも残念である。(以下続稿)

*1:改行位置①「/」③「|」。

*2:③「また」の前を詰める。

*3:③この読点なし。

*4:③にはこれと次の読点なし。

*5:③この読点なし。

*6:③この読点なし。

*7:③「つぎ」。

*8:③この読点なし。

*9:③この読点なし。

*10:③「さかん」。