瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

赤堀又次郎伝記考証(32)

 ここで、赤堀氏の主著と目されている『国語学書目解題』を見て置こう。
・『國語學書目解題』明治三十五年六月五日印刷・明治三十五年六月九日發行・吉川半七
 扉には毛筆の標題、右の枠に「東京帝國大學御藏版」左の枠に「 東京  吉川半七發行」とある。
 以下の本文は子持枠に活版。まづ大きく内題のある「緒言」二頁、これに本書の成立ちが説明されているから一頁2行め以下、全文を抜いて置こう。句点は使用されておらず読点は字間に打たれている。また「こと」は合字が使われているが平仮名2字にした。

  緒 言
この書は、もと私立言語取調所に於て、其撰述に着手/したるものを、更めて完成したるなり、
去る明治廿三年十月九日、言語取調所會長、故侯爵伊/達宗城、副會長、故男爵高崎五六より、博言學、取調上に/關する圖書、器具、金員寄附のことを帝國大學に願ひ出/て、同月廿二日に聽許せられき、この解題の初稿も其/寄附の中の一に屬す
初、言語取調所にて、語學書の目錄の編纂に着手し、其/義例を定め、故林美、故落合直澄、逸見仲三郞と共に其/【一】事に從ひ、やゝ緒につきしのみなるに、前に述べたる/次第にて、程なく大學に移されたり、
大學にては、余、專其事に當り、翌廿四年の春、一旦稿を/成して、之を公にせんとせしが、故ありて果さゞりき、/其後增訂すること再三、廿七年にも出版のことに至らん/として、又成らざりき、
卅年九月文科大學に國語研究室をおかれしのち、か/の取調所より寄附の圖書等も、同室に屬することとな/り、この書も更に校訂して公にするを得るに至れり、/この書出版につきて、いさゝか其始末を述ぶ、
 明治三十三年九月十日     赤 堀 又 次 郎【二】


 赤堀氏が古典講習科を卒業したのが明治21年(1888)7月、そして3月24日付(03)に見た『國語國文學年鑑』第貳輯に拠れば、赤堀氏が私立言語取調所の事業に従事し始めたのは明治22年(1889)1月から、とのことだから、いつ「語学書の目録の編纂」が始まったのかが分かりにくいが、その頃から赤堀氏は林美、落合直澄、逸見仲三郞とともにこの事業に従事し、そして明治23年(1890)10月に言語取調所が帝国大学に寄附されたときにこの解題編纂事業も大学に移り、大学では赤堀氏が1人で編纂に従事して明治24年(1891)に一旦成稿、しかし出版は成らず、その後再三増訂しつつ明治27年(1894)にも出版を企てたがこのときも実現に至らず、明治30年(1897)9月に文科大学に国語研究室が設置されたときに言語取調所関係のものも国語研究室に所属することになり、その結果出版の運びに至った、と云うことのようだ。
 私立言語取調所の設立から消滅に至る動きについては、新聞を見た方が良いのだろうが国立国会図書館デジタルコレクションで雑誌記事を漁る限りでは、――明治21年(1888)春には活動を始めていたらしいが、創立会は12月20日(木)に開かれている。複数の雑誌に記事が出ているがここでは「會通雜誌」第百一號(明治廿一年十二月廿五日火曜日刊行(毎月三回)・定價三錢五厘・會通雜誌社・十六頁)八頁上段17行め~九頁下段16行め「教育衛生」欄、4箇条のうちの2条め、九頁上段8~14行め、

◯言語取調所創立會 同會は去る廿日芝彌生舍に於て施/行せり參集の人々は大凡二百餘名ばかりにて伊達宗城蜂/須賀茂韶ボアソナード佐々木高行君等をも見受けたり席/定まりし後に同會幹事落合直文氏起つて參集人に會釋し/福羽美靜君の祝詞を朗讀せられたり次に副會長高崎五六/君及發起人黒田太久馬君の演舌ありて隨分盛會にてあり/きさて解散せしは午後五時三十分なり*1


 言語取調所について簡明に纏めた記事としては、「城南評論」第壹卷第壹號(明治二十五年三月二十日發兌・城南評論社・三四頁)一五頁上段6行め~一八頁下段3行め、黃塔道人「博言學と語格文法」の記述を挙げて置こう。一七頁下段12行め~一八頁上段5行め、

‥‥。廿三年五月に至りて、言語取調所よ/り言語といふ雜誌出版せられたり。此の言語取調所は/廿一年四月にその萠芽を生じて、翌年の秋に至り漸く/其組織を完成したるものにて。當時取調所が目的とせ/し所は極めて廣大にして。
  普通文體   普通辭書   博言學
  日本文學史  國文教科書  話語取調
  歌謠沿革吏  言語矯弊   語格全圖
  語學書目録  語學辭彙   語學史
  アストン日本文典翻譯【一七】
等の研究若しくは編纂なりき。かくて翌年五月に至り/て、言語はその機關として現はれたるなりけり。され/ど如何なる事情のありてか、幾ばくもなくして言語の/發行もやみ、取調所も幻の如くになりぬるは、惜しむ/べき限りにこそ。廿三年十二月に至りて、‥‥


 この言語取調所の事業内容や沿革は「言語」の記事に基づいて書かれているのであるが、これについては長くなるので別に記事にしよう。
 かつ赤堀氏の言い分を確認したところで『国語学書目解題』の内容については一旦後回しにして、『書物通の書物随筆』第一巻『赤堀又次郎『読史随筆』』の解題に話を戻そうと思う。(以下続稿)

*1:ルビ「しばや よひ/さんしう/せき/さだ・た ・さんしうはん・ゑしやく/しゆくじ・らうどく/ほつき にん/かいさん」うち「は」は右を上に横転の誤植。