瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

祖母の蔵書(123)池田弥三郎

 今日が祖母宅で作業が出来る最終日になるので出来る限り片付けてしまおうと、午前と午後に出掛けて、仮に自宅に持ち帰っていた本を祖母宅に戻し、それから残したままにしている本や、祖母が保存していた書簡その他記録類の整理に従事した。
 しかし、今回のことで、物を残して置いても仕方がないことが身に染みた。家人の従弟(義父の妹の子)が、祖母の父や夫の閲歴に興味を持っているらしいので、今回私が掘り出したものを見てみたい、そして保管しても良いと言うのであれば、私の方で一通り確認した上で喜んで差し上げようと思っている。そうでなければ、私が一応の記録を取った上で、古びた原資料は古紙として処分しようと思っている。
 明日は、家人が仲介業者に鍵を渡す前に、使い差しのティッシュとか石鹸とか、紙紐とか雑貨を持ち帰るためにもう1度祖母宅に行くつもりである。いや、それだけならわざわざ出掛ける必要はない。今日全て持ち帰ってしまえば良かったのである。本当は、本をもう少し、祖母宅に戻して置きたいと思って、それでわざと持ち帰るものを残して置いたのである。まだかなりの分量、整理のために自宅に持ち帰ったものが、未整理のままになっている。帰宅後、もうひと頑張りして明日、最終的に戻す分を拵えようと思っていたのに、草臥れてしまってその気力がない。かつ、今回の体験で本を捨てることに躊躇がなくなった。
 本を出来る限り戻して置きたいと思ったのは、祖母の部屋を家財込みで買い取った業者が、祖母の本をどうするのか、――只同然で引き取ってくれる業者に廻すのか、それともそのまま廃棄してしまうのか、仮に前者だとしても煤けていて汚い本や背が割れていたり頁が外れていたりする本は廃棄するだろう。いや、仮に後者だったとしてももう知ったことではない。どうも私はこれまで本を捨てると云うことに慣れて来なかったので、出来れば其処ら辺りは業者に任せたいと思ったからである。
 しかし、まぁ、確かに、取って置いても仕方がないのである。国立国会図書館デジタルコレクションで、祖母の本よりは閲覧者は多いはずだが、埃を被らず、燻蒸もされて状態としては悪くない同版の本が、カラー画像で閲覧出来る。以前も書いたかも知れないが、私は実は古書が苦手なのである。傷んだ本だと更に壊しはしないか手に取るのを躊躇してしまうし、特にあの酸っぱい匂いが苦手である。だから大学図書館の開架書庫でもずっと作業をし続けておられないので、しょっちゅう席を外してうろうろしていた。大きさ、厚さ、手触り、背表紙、カバーや帯と云った情報が得られないのは問題だが、破損や臭気の心配もなく、小さい活字の本や雑誌を、カラー画像で幾らでも拡大して見ることが出来る方が、私には有難い。もちろん、国立国会図書館デジタルコレクションにないものもあるし、国立国会図書館デジタルコレクションにあってもマイクロフィルムの粗いモノクロ画像だと読むにしても現物の方が良い。が、図書館派の私としては、何時も見る訳でない本を保存する趣味もないし*1、私は祖母の思い出として持って置いても良いが、そうした付加価値くらいしか価値がないというのでは、私も家人も死んでしまえばもうゴミになるしかないので、それなら私が引導を渡すべきと思ったのである。同じものが他でも閲覧可能と分かれば(躊躇はするかも知れぬが)捨ててしまおう。残したままにする方が大変なのである。
 以前「徹子の部屋」に出た高齢の芸能人が、溜め込んでいた台本やら衣裳やらを全て処分してマンションに転居して気楽になった、なんて話をしていて、祖母の蔵書整理に苦慮する以前の、当時の私は勿体ない、どれだけ貴重な芸能史の資料が失われたか、と思ったのだったが、今は理解出来る。そう云えば「深沢秋男の窓」の最末期、2020年12月31日「断捨離」にて、深沢氏も息子に一切合切を処分されてしまったことを報告していた。子息がこのような決断をしたのは当時既に深沢氏にかなりの衰えが見えていたからなのか。いや「何の未練もなかった」と述べつつもやはり心に深い衝撃を受けていて、それで衰えが急速に進んで半月後の死去に繋がったのか。――祖母の場合は私と云う物好きで暇な人間がいたから、書籍だけでも一通り記録に取った訳だが*2、さもなければ殆ど何もせずにとにかく業者に一切合切任せて、と云うことに普通はなるのであろう。だから、徐々に、本人が自覚して、かさばらない形での記録に残して、整理すべきだとつくづく思った。深沢氏は自ら雑誌やネット上に公開しているから、原資料は残らなくても深沢氏が意識していた資料の内容は、分かる。それで良かろうと思うのだ。
 それはともかく、今日はへたばってしまって、かつ頭も働かぬので。まだ書きかけの池田弥三郎の本を取り上げて済ませることにする。仏間の硝子棚にもう1冊あったはずである。それから、かなり以前に研究資料として借用した1冊があった。これらは、後で追加しよう。(以下続稿)

  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 寝間の本棚より。
旺文社文庫〔1271〕『暮らしの中の日本語』1980年4月30日 初版発行・1980年     重版発行・定価 350円・250頁

旺文社文庫〔1272〕『暮らしの中のことわざ』1980年4月30日 初版発行・1980年     重版発行・定価 350円・242頁旺文社文庫〔1276〕『食前食後』1982年1月25日 初版発行・1982年     重版発行・定価360円・266頁・文春文庫 213―1『話のたね』1979 年4月25日 第1刷・定価 340円・文藝春秋・333頁・中公文庫 M8-2 池田彌三郎『まれびとの座 折口信夫と私昭和五十二年三月二十五日印刷・昭和五十二年四月 十 日発行・¥340・中央公論社・282頁*3
 この本は仏間の硝子棚より。

*1:私が図書館派になったのはそもそも捨てるに忍びないからであった。

*2:まだ記事として投稿していないものが1000冊以上ある。既に(記録を取った上で)売却、もしくは祖母宅に残したまま業者に委ねたものも多数。

*3:8月28日追加。