瑣事加減

2019年1月27日ダイアリーから移行。過去記事に文字化けがあります(徐々に修正中)。

祖母の遺品(10)

・若山家の関東大震災(9)
 一昨日昨日と、今は存在しない福島県伊達郡桑折町の佐藤歯科医院について考証して、随分長くなってしまった。昭和59年(1984)以降、佐藤歯科医院がどうなったのか、明らかに出来なかったことも多々あるが、今は祖母の母方の叔父・竹内久雄が震災後の東京で会ったであろう佐藤義光の生涯がぼんやりと描けたことに満足すべきであろう。祖母の母の実家竹内家については、実は非常に大きな問題があって、いづれ触れざるを得なくなるはずなのだけれども、しかしこの分では先が思いやられる。まぁ休み休み、じっくり進めて行くこととしよう。
・若山津子宛(大正12年)十月十二日付若山次郎書簡
 封筒の表「朝鮮羅南本町第五九/号官舍/若山津子様/(至急)」至急に圏点を打つ。消印は「子王|12.10.×|前10-×」×にしたところが読めない。
 封筒の裏「府下王子町/下十條八一五/若山次郎/十月十二日夜」「南 羅/12.10.18」の配達局の消印。

封筒(表)と便箋
封筒(裏)と便箋

 便箋はノートの4頁分(1枚)を外して、最初の頁を白紙のままにして外側にして巻四つ折にしている。

便箋(ノート1頁)
便箋(ノート2頁)
便箋(ノート3頁)

 9月1日付(02)に紹介した若山津子宛大正十二年九月十九日付若山次郎書簡から23日後のもので、近況が綴られている。この間にも絵葉書などを出しているようだが「やきすて」たかも知れないものを探すのも面倒なので順番に見て行くこととしよう。それから注意されるのは「文江さんはやっぱり本がすきですか。」の一文で、長兄・一彦書簡の妹たちへの呼びかけに比べると、次兄・次郎のそれはより繊細な心遣いを示しているように見える。そして、祖母はこの頃から本好きだったことが、この一文から改めて実感されるのである。(以下続稿)